精従懇アピール文――身体拘束10年で2倍増加問題をうけて

 精従懇参加者の皆さん!
 私たち全国「精神病」者集団は、1974年5月に結成した精神障害者個人及び団体で構成する全国組織です。
 厚生労働省(精神保健福祉資料)によると身体拘束の件数は、10年で2倍にまで増加し、調査方法が変わった昨年度以降においても身体拘束が増え続けているとする推計が出されました。厚生労働省は、身体拘束の増加要因を明らかにするため身体拘束大規模調査実施を決めましたが、様々な要因により頓挫状態となっています。
 私たち全国「精神病」者集団は、身体拘束の要/不要以前の問題として、精神保健福祉法に根拠を置き、精神障害者であることを要件としておこなわれる拘束等の人身の自由剥奪は、障害者権利条約第14条の趣旨に違反するものと考えています。
 さて、精従懇加盟団体の間では、少なくとも身体拘束を減らしたいという思いは一致していると思います。しかし、具体的にどのように減少させるべきかについては、病棟の機能分化や代替方法としての個室の使用など提案が五月雨式に出され意見がなかなかまとまらないです。
 しかし、私たちとしては、実際に身体拘束を減少させるためには、技術レベルの向上だけでは大きな変化は期待できないと思っています。すなわち、国が減らすという方針を明確に打ち立てた上で減らすための取り組みをしなければ、現状はなかなか変わらないと思います。実際に身体拘束を減らすことに成功したほとんどの国では、国が身体拘束を減らすための指針を設けています。
 そのため、実際に病棟で思い思いの関わりをしている方々には、その世界から見える課題があるのは当たり前だと思いますが、国が指針を定めなければなかなか現状は変わらないわけなので、そのような考えのもと身体拘束の問題に取り組まれることを強くよびかけます。
 2019年3月16日

優生保護法救済法案骨子への第二次意見書

2019年3月11日
優生保護法下における強制不妊手術について考える議員連盟
会長 尾辻秀久 様

 平素より、精神障害者の地域生活の政策・立法にご尽力いただき誠にありがとうございます。私たち全国「精神病」者集団は、1974年に結成した精神障害者個人及び団体で構成される全国組織です。
 さて、このたび優生保護法超党派議連の総会において優生保護法救済法案骨子がまとまりました。しかし、既に各団体から指摘されている通り、未だに優生保護法救済法案骨子の中身は著しく不十分といわざるを得ません。障害者の権利に関する条約(以下、障害者権利条約)の趣旨を鑑みた優生保護法救済法案骨子となるように下記のとおり意見を申し上げます。

優生保護法救済法案骨子に調査の規定が盛り込まれた。調査、検証、再発防止に関する明文規定が設けられたことは高く評価している。厚生労働省による2018年7月の調査は、病院等からの協力が十分に得られなかったことで不徹底のままにおわっている。そのため、行政の把握している被害者の数は実際の被害者の数よりもはるかに少ない数にとどまっている。医療業界は、反省と謝罪によって網羅的調査に積極的に協力する態度を固める必要があり、こうして医療業界の協力を得ながら更に被害実態を明るみにしていく必要がある。
この調査の規定は、「国は、疾病や障害を理由として生殖を不能にする手術又は放射線の照射を強いられるような事態を二度と繰り返すことのないよう、全ての国民が疾病や障害の有無によって分け隔てられることなく相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資する観点から、旧優生保護法に基づく優生手術等に関する調査その他の措置を講ずるものとすること。」というものである。ここで言われている「旧優生保護法に基づく優生手術等」とは、書きぶりから言って旧優生保護法に関連したあらゆる問題が含まれるのだと理解できる。例えば、旧優生保護法に基づく優生手術等の影響により母体保護法以降においても継続して手術(パイプカット等)の強要がおこなわれてきたことについては、ここで言われている「旧優生保護法に基づく優生手術等」のひとつになり得る。また、ここで言われている「その他の措置」の中には、法的措置が含まれ得るものと理解できる。すなわち、この調査条項は、各方面から課題とされてきた救済の対象範囲拡大などの法的措置を妨げないものなのである。
 しかし、こうした書きぶりで合意できたのであれば、①母体保護法以降の問題についても旧優生保護法に係る問題が対象範囲に含まれるという解釈を答弁や付帯決議で担保すること、②附則に法律の見直しや延長の検討について明文で担保することなど、より積極的なかたちで進めていただきたい。

“#WhatWENeed- Inclusion in Development and the social paradigm”

COSP Side Event Proposed by TCI Asia Pacific

TCI AP, supported by the International Disability Alliance and the Open Society Foundation, ran a successful social media campaign, #WhatWENeed, strategically around the International Mental Health Week, October 2018-December 2018. The occasion for the campaign was the momentum within the global mental health sector, and the series of academic and policy developments, particularly the Lancet Global Mental Health Commission and the special issue of the World Psychiatric Association, to “save the CRPD from itself”. Against this background, TCI AP asked its communities from the Asia and Pacific regions, to articulate “What we need” as a way of amplifying our voices in response to these developments.
The side event invites partners and participants to articulate #WhatWENeed to do, as multiple stake holders within Disability Inclusive Development, towards the full inclusion of persons with psychosocial disabilities.
Some thematic questions for the side event could be –
1) Efforts that need to happen within policy environments in global, regional and national levels, to facilitate a new vision for persons with psychosocial disabilities towards full inclusion
2) Role of cross disability organizations at the national level to enable and facilitate DPO formation within countries
3) Efforts within Development Aid agencies, their policies and strategies, to support programs that are CRPD compliant, and have outcomes of inclusion, rather than medical treatment; support measures towards de-institutionalization
The Side Event will also give voice to critical mental health, referencing the Bali Declaration as a baseline, raising serious concerns about the open resistance of medical professionals to CRPD standards.

第3回全国精神障害者総決起集会基調

第一章 過去の私たちの運動の経過と総括
 私たち「精神障害者」は、人として当然持ちあわす諸権利を奪われ、市民社会から切捨てられてきました。
 たえず、管理の対象者としてのみ扱われ、「共生」の場からはずされてきました。
 人として、絶望と疎外の閉塞状況を強いられ、孤立のなかで呻吟しなければなりませんでした。

1、第一回「精神障害者」集会の開催
 私たちは、それらを不当とし、拒絶する方向で一九七四年五月、東京において、第一回精神障害者集会を開催しました。
 集会の呼びかけに使われた「同胞」という連帯の言葉は、私たちに一条のひかりをなげかけ、長年の閉塞状況を押しひらき、仲間の結束を導いたのです。
 基調に示されたことは
第一に、私たちは法の下において人権を否定されている、もどかしさや、空しさでした。私たちは憲法とは無縁の存在で、法の差別は、ひとり、ひとりに重苦しく、のしかかっています。
私たちは、この差別ゆえに、実質的に「社会外」に追いやられ、人間として扱われてきませんでした。
この怒りは、はかり知れなく、人権の復権が集団の基本的、姿勢として打ち出されました。
第二に、能力、生産第一主義のこの社会にあって私たちの生存権は、否定的にしか取らえられていない事実を深刻に問われたことです。
「精神障害者」は、生産阻害者として、社会的不適応者として、働らく場所、住む家の保障からはずされてきました。さらに、「精神障害者」は精神病院で虐殺されたり、台人体実験に象徴的にみられるように、各大学、また病院での生体実験に供せられてきました。私たちは「生命軽視」の実態を直視するなかで生存権の追求がさけばれました。
第三に、治安維持の名目によって現体制に画策されている刑法――保安処分立法化にたいして病者の歴史的封殺であるとして危機意識をもったのです。われわれは現体制の強いる一方的強権的策謀に対して絶対に阻止する決意をかためました。
 第四に、精神病院における実態の暴露です。鍵と鉄格子で不当な拘禁を強制している日本の精神医療の荒廃ぶりは、諸外国には類なく、惨たんたる様相を呈しています。精神病院内においてリンチ、薬の大量投与、電パチ、ロボトミーの諸方法によって精神にひどい介入を強いることを白日のもとにさらし出す方向が示されました。

2、関西集会をめぐって
 抑圧されつづけた私たちは各地域の活動は活発化しました。とくに関西においては、第一回集会四カ月後(9・28)具体的に集会をもち精神病院内の実態をあばく作業を開始しました。見えない鍵―通信・面会の禁止をうち破るための抗議集会がもたれました。第一回関西集会の決議は以下のようになされました。「われわれは精神病院および施設において、いちじるしく、人権を侵害されてきました。その一つに通信の不当な検閲および立会人つきの面会を強要されてきたことを確信します。私たちは以下にのべる理由により、通信、面会の自由を各関係機関(行政機関および精神医学会)に断固要求することを決議します。
一、基本的人権の侵害抗議(憲法21条違反)
一、精神衛生法38条の乱用と不当性
一、病院内部の医療実態を公開
一、われわれをますます孤独の世界に閉じこめ、治療効果をあげない

 この集会において特筆すべきことは、デモンストレーションによって市民、大衆に訴えたことです。その内容は、次の四点です。第一に、「精神障害者=犯罪予備軍」というまとはずれのきめつけであり、実際には犯罪率が健康者の六分の一である、第二に、「精神障害者」についての労働基準法にかかれている労働の権利、その他の諸々の差別条項への告発である。第三に、保安処分は現在精神衛生法29条(「自傷他害のおそれ」のある者については県知事の権限で強制入院を命ぜられるという法律)がすでに実態化されていて、自由権の剥奪の最後の総仕上げについての訴え、第四に、精神病院は治療機関では全くなく、密室と治療の名の絶えまない殺りくの状況であることを、ばくろしたのです。

3、第二回全国大会(京都集会)をめぐって
 第二回のテーマは、「不況・解雇に抗して」、「赤堀差別裁判糾弾」が中心課題として設定されました。
 私たちは、働らくことの場を保障されず、未組織、あるいは零細企業の末端にかろうじてしがみつき、糊口を保っている。これは私たち「精神障害者」の日常的生態であり、こうした不安定さは不況に突入すれば、しわ寄せ的に解雇としてあらわれ、ただちに職場から排除が決せられてくる。資本主義の矛盾が必然的に「経済危機」状況を招き、「精神障害者」にとっていっそうの生活困難として立ちあらわれてきた。それは職場からの解雇であり、いっそうの低賃金化であり、就職の困難であったのです。その現実的な切実な訴えとともに、現実の運動として仲間の支援連帯をもって解雇攻撃をうち破った実績をも含めて報告されていった。
 現在、宮城刑務所に不当拘禁されて死刑執行の危機にさらされている赤堀政夫さん問題を共同闘争課題としてくみ込まれました。第一回集会は、個別体験から出発した問題意識が強力な色彩を帯びていましたが、すでに保安処分が単なる法制上の問題としてではなく、先どり的に実質化され、累積されていることに直面したのです。
 赤堀政夫さんは昭和29年島田市でおきた幼女殺人事件の犯人にデッチあげられ、差別と迫害のなか殺されようとしています。私たち「精神病者」集団が赤堀差別裁判として弾がい抗議の闘いに意志一致し、統一行動をくんだのは単なるえん罪事件ではなく、精神病者一般に対する社会の差別、偏見を利用した「いけにえ」であり、差別の極として、断じて許せないからです。この差別裁判を差別裁判として、司法権力に許してしまったことには多くの必然性と、私たち「精神障害者」一般の差別的日常の集積がありました。ここにわれわれと赤堀さんの共通項を見出し闘いに決起したのです。すでに事件後20年の経過があり、決定的な立ちおくれのある中で第四次再審請求そのものへのかかわりが緊急に要請されるさなかでした。私たちは事件の概要を集会において確認しただちに法務大臣に死刑執行阻止の要請、静岡地方裁判所にむけての再審開始要求、この差別裁判に犯罪的役割を果たした精神鑑定の暴露糾弾として精神神経学会をはじめ各精神医学会への抗議文をつきつけることが集会総体において決議されました。差別裁判を根底的に支えたギマン性、犯罪性、非科学性をあばく運動を通して精神医学をあばくことでした。さらに加えて、そのギマン的精神医学に支えられ、ブルジョア法の下での「罪刑法定主義」(罪をおかした量によって罰すること)を否定し将来余地のもとに隔離、収容、抹殺する保安処分と同室の問題として赤堀闘争を設定しました。したがって私たちの行動は、個別解放闘争から集団的に権力と対決し、静岡地方裁判所に抗議デモを波状的に行い、再審要求をつきつけてきました。そうした中にあって3・11棄却決定は司法の犯罪性を隠蔽し、保安処分を推進する国家の意図に加担し、「精神障害者」総体に対する死刑・抹殺宣告をおこなったものであり、私たちはそれに反撃すべく新たなる闘争の発展が再び問われることになりました。断じて、赤堀さんを殺して私たちの解放はありえないことです。
 また、国家は保安処分新設をいそぎ、各地で刑法改「正」についての「意見を聴く会」を強行せんと策動してきました。私たちは、国家による「精神障害者」弾圧の最後のうち固めを決して許すことができません。私たちは6・23福岡「意見を聴く会」粉砕闘争へ代表者を送りこみ闘いました。また、6・29名古屋「意見を聴く会」粉砕闘争は全国「精神病者」集団独自の部隊を組んでとりくみましたが、こうした「精神障害者」の主体的な独自の部隊の創出は特筆すべきことです。今後、国家が予定している広島、高松、大阪、東京の四つの「聴く会」に対するとり組みが現在準備されています。

 以上のような激しい情勢の中で、私たちの闘う仲間、鈴木国男君が一九七六年二月、大阪拘置所に不当拘禁され虐殺されました。この暴虐は、すべての「精神障害者」を殺していこうとする国家権力の意図を私たちははっきりとつきつけました。私たちは決してこの暴挙を許すことはできないと考え、大阪拘置所弾がい闘争に決起しました。同時に、鈴木国男君虐殺は闘う戦線内部における差別的関係をも問うものとしてもあり、私たちと共に闘う戦線の真の連帯とはなにかについての追求がなされました。
 昨年、私たちはこの問題の整理と深化のためにやむなく集会未開催に終りましたが、闘う質をさらに強め、本年第三回を開催するにいたりました。

第二章「精神障害者」の歴史
1.ヨーロッパ
 「精神障害者」の歴史はその昔自由だった「精神障害者」がその自由を失っていく歴史である。
 原始共産制の時代には、一切の現象は神秘的な超自然力の働きと理解され、「精神障害」もまた病気としてではなく精霊の働きと解された。人々はすべてのものに超自然的な力を信じていたから、霊によって支配される者としては「精神障害者」と自分たちとの間に異質感をもたなかったようである。むしろ「精神障害者」は理解できないが故におそれと畏敬の対象であった。すなわち「精神障害者」は神聖であり力ある者と思われていたので、彼をいわゆる正常の状態に戻してやろうなどとは誰も考えなかった。
 ギリシャ時代は「理性」の時代だったから「精神障害」はいくぶんその地位をおとしめられた。例えば、医学の父といわれるヒポクラテスは当時“神聖な病”といわれていた「てんかん」を自然的原因によるものと主張し、「精神障害者」を神聖の座からひきずりおろした。しかし一般には祈疇やまじないによる治療は広く行われていたし、大部分の「精神障害者」は自由であったといわれる。ローマ時代には「精神障害」は一般には霊感によるものとされた。なかには独房や土牢に押しこめられる者もあったが、やはり多くの「精神障害者」は社会の中で生活していたといわれる。
 中世、封建社会になり、キリスト教が支配思想(つまりキリスト教の時代)になると、「精神障害者」を悪魔にとりつかれた者とする考え方が強くなる。そしてローマ法王の威勢がヨーロッパを支配しカトリック教団の権威が確立されるようになると、「精神障害者」も悪魔がのりうつった者、あるいは悪魔と結託した宗教犯罪者として迫害をうけた。けれども一方では「狂者の祭」や「愚者の行列」005>006などによって合法的違反を示す機会もあったといわれる。
 中世末期になると強大な権威を確立していたカトリック教会も内部矛盾を露呈しはじめ、多少の異端できびしく糾弾されるに至った。そして十五世紀から十八世紀にかけて魔女狩りの嵐が吹きまくる。「精神障害」と魔術と異端は一つのものに融合され、流産、凶作、病気、事故、不妊などはすべて魔女の仕業と説明され、たとえ他人に害を与えなくても悪魔と結託したという理由で、きびしい拷問の末火刑に処せられた。魔女裁判は、まず告発や密告、あるいは世間のうわさにはじまり、魔女発見法としては、被疑者を裸にし針をさして痛みも出血もしないところがあれば魔女であるという針検査、池や川に投げこんで沈まねば魔女であるとする水検査などが行われた。また拷問は、鞭打ち、指締め、吊り上げ、吊り落し、焼ゴテ、爪はがし、手足の切断、舌切りなどが行われたという。そしていったん魔女という疑いをかけられれば自白しても死刑、自白しなくても死刑に処せられた。その数は百万人とも九百万人ともいわれる。
 こういつた中で、十六世紀になると科学の側からの抗議がはじまった。なかでもヨハン・ワイヤーは「魔女の大部分は罪のない病人である故、彼女たちは治療のため医者に引渡さねばならない」といい、医者を魔女の指導者たらしめよと主張した。これは第一次精神医学革命と呼ばれているが、ワイヤーは決して魔女たちの自由・解放を主張したわけではない。魔女たちはその後たしかに拷問や火刑から救い出されたが、待ちうけていたのは自由ではなく、医学による介入だった。
 魔女狩りとほぼ平行して行われたのが「精神障害者」の施設への収容―排除だった。十六世紀頃から拘禁的な収容施設があちこちにたてられ、自由だった「精神障害者」は社会から排除されていく。特に十六世紀末のイギリスの感化院、十七世紀半ばのフランスの施療院の創設によって犯罪者と「精神障害者」は区別されず、「精神障害」は監禁と徴罰と矯正の対象となった。つまり市民社会が徐々に形造られるにつれて、「精神障害者」は貧困者、浮浪者と共に生産を阻害する者、市民社会秩序を乱す者として収容施設へ送りこまれたのである。
 十八世紀末、当時「精神障害者」は監獄にぶちこまれて鉄の鎖につながれ、物見高い見物人によってののしりあざけられていた。ピセートル病院の医師となったフィリップ・ピネルはフランス革命の時代精神に影響され、病院改革にとりくみ、「精神障害者」を鎖や足かせから解放して医学の対象とした。 (しかし「このとき以来、「精神障害」は精神病院内の現象となり、しかも人間の魂と罪に関する道徳的問題にされてしまった」(フーコー)のである。)しかしこのときから権力の要請をうけて「精神障害者」を専門に扱うものとして近代精神医学、精神医療が登場することになるのである。
 十九世紀資本主義社会の隆盛期は一言にして管理の時代であった。医学(医者)は「精神障害者」を引受けたが、なおせるあてがあったのではなく、「精神障害者」をよく管理された組織のもとへ連れ006>007ていくことが“治療”であった。この時代、精神医学の領域では身体論者と心理論者の対立があり、この争いは結局前者の勝利に終り、グリージンガーの「精神病は大脳病である」という定式が確立される。同時に「精神病は不治」である、という「治療的ニヒリズム」が支配し、「精神障害者」は精神病院に隔離・収容されるだけであった。
 他方、原因がわからなくても、どんな犠牲をはらっても、ともかく状態を変えようという「治療的積極主義―修理の思想」があった。独占資本主義の段階に入った二十世紀は発熱療法、ショック療法、精神外科などの生物学的なものにせよ、あるいは精神療法などの心理学的なものにせよ、まさに強制治療―修理の時代ともいえる。むろんこの間、ファシズムが抬頭し、ナチス・ドイツが二十七万五千人の精神病者をガス室へ送りこむという文字通りの大量抹殺があった。第二次大戦以降は、人的資源の確保という要請のもとに、薬物療法の出現ともあいまって、社会復帰―社会適応―地域精神医療という線がうちだされているが、これは逆に言えば全地域の精神病院化ということにもなろう。

2.日本
 日本でも昔は「精神障害」は人間の魂が抜け出して、その代りに外部から神、霊、魔、怨霊、さらには孤、犬、猫、狼、狸などが入りこんで体を支配するものと考えられていた。したがって治療も加持祈?によって怨霊などを追出すことに主眼がおかれていた。ただ日本ではヨーロッパの魔女狩りのような組織的迫害はなかったし、施設への閉じこめということもなかった。
 しかし江戸時代後半封建社会末期になると、精神病者には入牢、入濫、溜預りの処遇が定められる。入牢は治安維持のための措置であり、入濫とは私宅監置であり、溜預りとは非人頭にあづけて監護させることであり、時には樋伏せ―(樋をさかさにしてその中へ拘禁する)も行われたという。
 明治に入って産業資本主義が抬頭した段階で、一八七五年に京都府てん狂院がはじめての精神病院として設置されたが、多くの精神病者は私宅監置の状態におかれていた。一九〇〇年の精神病者監護法の制定は私宅監置を公設し、精神病者の治安的取締りを強化するものであった。当時の状況を呉秀三は“監禁アリテ治療ナシ”といい、また“我邦何十万ノ精神病者ハ実二此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外二、我邦二生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト言フベシ”と批判している。一九一九年には精神病院法が成立し、公立精神病院を設置する方向が明らかにされたが病院設立はすすまなかった。第二次大戦に入ると、民族の血の浄化と経費節約のために「精神障害者」を断種する国民優生法が成立した。また精神病院内での死亡数も激増し、たとえば松沢病院では一九四五年全入院患者の四一パーセントが栄養失調、脚気などによって死亡したという。007>008
 大戦後、帝国主義戦争に敗北した一九五〇年には精神衛生法が公布された。精神衛生法は精神障害者の医療保護を謳っており、また私宅監置も認めていないが、やはり措置入院(「自傷他害のおそれ」のある者に対する強制入院)が中心であり社会防衛的色彩がきわめて濃厚である。その後ライシャワー刺傷事件を契機として、緊急入院などを規定した精神衛生法一部改正が行われる。この間、私立精神病院の設立はすすみ、病床数は一九四九年には一万七千床であったが、七四年には二七万床に達した。すなわち精神病者はますます社会から排除され、精神病院へ閉じこめられていく。むろん最近は、一方で病棟の開放化―地域医療の促進もあるが、他方では保安処分新設がもくろまれている。すなわち精神障害者の中で危険な者には今まで以上に治安管理を強化し、社会復帰可能な者には強制適応させるという分断策がうちだされている。

第三章「精神障害者」をとりまく現状
①保安処分の性格と、
「保安処分」新設策動の目的
 私達は、「精神障害者」の歴史をたどる事により、赤堀差別裁判、鈴木君虐殺を極点とした現行保安処分体制の背景を見ることができ、又、現在、「精神障害者」が危険な者であると見る差別意識にのっとり、法制化されんとする保安処分新設策動にまで至る歴史的背景を見ることができた。
 保安処分の内容として、私達が押えなければならないこととして、労働能力が無いから、又は職場の作業能率を下げるからという経済的要請によって、職場から排除されていくという事がある。さらに進んで、「精神障害者」に歴史的、社会的な諸矛盾が集約した時、「あばれる」から、あるいは、「自殺のおそれがあるから」等という社会防衛論的観点から「カク離、収容、抹殺」を権力が行うという「精神障害者」排除と、エネルギー政策の転換、不況、インフレが続く中、大量に生み出される失業者が多く「精神障害者」として病院に狩り込まれる。ブルジョア独裁権力の支配の中で、ひきおこ008>009される社会的諸矛盾の中で、追いつめられ、反抗する労働者が必然的に増加する。反抗し、あるいは、犯罪を起こさざるを得なかった労働者、人民に対する排除、抹殺を行うものとして、保安処分攻撃があるという事、保安処分新設がブル独裁権力の労働者階級にかけて来た「精神障害者」差別分断支配の強化としてあることを押さえなければならない。
 又、私達に対する差別意識が根づよく市民社会にはびこっている現在、私達が行って来た、「精神障害者」として差別され、抑圧され続けて来た事に対する闘いを圧殺し、ほうむり去ろうとする闘いに対する弾圧としてあることを、見抜かなければならない。
 現在、日本帝国主義の支配が、不況、インフレが同時進行する中で、ゆらいでおり、今回政府―法務省がかけてきた保安処分新設攻撃を、ブルジョア独裁権力の支配再編として、国内労働者階級に対する管理、抑圧強化の重要な環としてある事を明確に押さえなければならない。
 私達に対する攻撃は、このように歴史的制約に定められたブルジョア独裁権力の、社会的諸矛盾の中でとらえる必要がある。

②保安処分のイデオロギイ的背景
 私達は、保安処分が含んでいる二つの機能と、明確に治安的意図を持つ「保安処分」新設を位置づけた。
 その中で、保安処分を支える様々な差別と、偏見の下に流れている保安処分の思想的背景を明らかにする作業にとりかかる事によって、私達の闘いを組織して行く上で、大きな武器を手に入れる事ができる。
 私達は、マスコミ等で「精神障害者」が危険であり、野放しにするなというキャンペーンが行われる事に対し、非常に憤りを感じる。犯罪率の点では「精神障害者」は「健全者」より圧倒的に低い。しかし、何故「精神障害者」野放し論がこうも横行するのか。又、「精神障害者」は「健全者」にとって何故危険なのか、又、「精神障害者」は危険であるという見方をしない時代があったにもかかわらず、現代では、何故危険と見なされるのかである。
 私達が教育の場や、労働の現場から「精神障害者」差別によって、排除されなげればならなかったのは何故か。又、社会矛盾の集積する場である家庭の中から作り出された「精神障害者」も病院にカク離、収容されなければならなかったのは何故かという事が問われなければならない。
 現代日本のブルジョア独裁支配が、様々な社会的、歴史的矛盾によって根幹からゆすぶられて知り、例えばオイルショック、以降の構造不況、インフレの進行する中、中小企業のみでなく、大企業の倒産によって大量の失業者が生み出されている。「福祉」行政といっても、全く不充分であり、「精神障害者」老人が人として生きる事を拒否されている。又、女性が働く事によってしか労働者の家庭009>010が維持できないなど様々な矛盾によって、ブルジョア独裁の支配が根幹からゆすぶられている。
 私達は、そのような激動する社会の中で、窃盗、殺人、心中、子殺し、親殺し、アル中等々の様々な貧困の中でひきおこされる悲劇をじっと、傍観的に見ている事はできない。犯罪、「精神障害」という、個人に体現された社会的矛盾の露呈は、現体制に対する、無言の反逆である。
 がしかし、このような、社会的矛盾を、その社会的、経済的基盤から、根本的方法でもって、解決する能力が無いのが、全てのブルジョア独裁権力の歴史的限界である。であるからこそ、「精神障害者」個人に責任をきせ、「カク離、収容、抹殺」し、「障害者」、老人を切捨てる事によって、ブル独裁権力は延命を企っているのだ。
 このように「精神障害」という現象が、社会矛盾のあからさまな噴出である事に対し、権力は、支配をおびやかすものであることを明敏に感じとり、そういった様々な社会矛盾の根源が、ブルジョア独裁社会にある事自体を問わず、様々な社会不安の「いけにえ」として、「精神障害者」抹殺をはかって来ている。だからこそ、「精神障害者」を、「了解不能」で「危険」で「みにくい」ものであるという差別キャンペーンをやり、又、反抗すればこうなるという「みせしめ」として、「精神障害者」に対する抹殺の攻撃として、「保安処分」新設策動を行って来ているのである。
 又・ブルジョア精神医療と、ブルジョア教育を動員し、おそろしい「精神病」という形で宣伝し、偏見を助長している。
 私達は、こういった、様々な方法でもって偏見を積極的に作り出す教育、学問に対する闘いを、権力の意図の底にあるものをあばきながらねばり強くやって行かなければならない。

③「精障者」に対する様々な差別条項
 私達「精神障害者」が、かけられている現行保安処分と、さらに「差別の法制化」としてある「保安処分」新設策動により、私達自身が人として生きて行く事をさらに、拒否されるという新たな段階へと、現在は入っている。しかし、私達が、日常的に受けている差別を支えている偏見とともに様々な差別的な法律、法解釈差別条項をテコにして、私達が、人として生きて行く事をはばまれている現実を見すえなければならない。

a.精神衛生法
・措置患者について、労働権の問題
 現行精神衛生法29条によって、自傷他害のおそれがあると認められる精神障害者に対して、知事の権限によって強制的に入院させる、措置入院制度の規定にのっとり、治安的意図のもとに、強制入院が強要されるわけである。
 私達は、この措置入院制度によって、入院させられた場合、その措置入院という入院形式によって、常に「自傷、他害のおそれ」の010>011ある者と見なされ、様々な差別的な待遇を強要される。経済的理由によって措置患者として入院を続ける場合であっても、外出、外泊の制限や、院外作業の禁止を強制される。
 私達は、措置入院という入院形態でなくとも、全ての「精神障害者」が「自傷、他書のおそれ」のある者と見なされる差別観によって、退院して生活を続けるために労働することすら拒否される事が多い。具体的には、労働安全衛生法68条に病者の就業禁止が定められ、その法を受けて、労働安全衛生規則第3節第61条第2号に、明確に「精神障害のために現に自身を傷つけ、又は、他人に害を及ぼすおそれのあるもの」の就業禁止をさだめている。

 そのような労働現場からの排除を明文化している差別立法、差別的解釈に対し、私達「精神障害者」の労働権を奪い返す闘いを進め、労基法等差別立法の拡大適用に対し、闘って行かねばならない。
 又、作業療法と称して、労働ではなく、治療であるとして、「精神障害者」の労働に対する不当な収奪をなす営利第一主義の病院に対して私達「障害者」の労働の正当な評価と、人として私達が生きようとする事の復権をかけた闘いとして、闘い抜かねばならない。

b.生活権について
 全ての労働者は、労働基準法・最低賃金法によって、生きて行くために必要な賃金と、働きやすい労働条件をかちとることの保障をされているはずである。がしかし、実際には、私達「精神障害者」は、入院するだけで解雇されることが多く又、入院中、院外作業を行う場も少なく、又、たとえ働くことができても、非常な低賃金におさえつけられている。
 「精神障害者」であるという事のみをとって、一般労働者から差別され、最低賃金法の対象外となり又、労災の保障も充分でないのが現状である。
 私達は、労働者と差別され、生きて行く権利を不断に奪い取られている。
 憲法によって保障されている諸権利さえ、様々な立法の中において例外とされ私達は差別待遇を受けている、私達「精神障害者」には全ての権利、つまり、生き、働き、団結し、闘い、又様々な自由を行使する事を奪いとられているのである。
 私達は、このように「精神障害者」をも含んだ形で憲法が文字通り通用し、力を持つ社会ではない事、又、私達に対する差別が、個々の企業の利害を代表するだけでなく、ブルジョア独裁権力の維持の手段としてある事を見抜きながら、私達、「精神障害者」に対する差別、抑圧の歴史を最終的に打破して行く質を持って、個別の差別条項の撤廃と、差別待遇に対する改善をかちとる闘いを、又、さらに差別を拡大助長し、「精神障害者」圧殺をはかる「保安処分」新設策動に対して、断固決起し、最賃法の労働者として、認めさせて行き、又、差別立法としての、労基法51条撤廃、生活保護法の差別給付の撤廃、を闘いとらねばならない。011>012

④労働、教育の場で再生産される「障害者」 
 私達は、「精神障害者」の歴史的背景と、差別の法律的根拠、及びそれを支えている保安処分の思想ならびに新設されんとする「保安処分」の中にかけられて来た階級支配の意図を押さえて来た。
 私達は、日々教育の場や、労働現場で行われている排除の様相をさらに深く分析する中、養護学校義務化阻止の闘いに決起すべく、「精神障害者」が労働過程、教育過程の中でいかに排除されて行くかを見よう。
 赤堀さんが、幼年時代から「テーノウ」「マーコ」等とはやされながら、地域から差別され、学校でも「問題児」として特別の目で見られながら育って来たように、多くの「精神障害児」が、「問題児」として特別視され特殊学級や、施設に隔離、収容され続けている。又、特殊学級や施設に入れられることによって、社会から切り離され、その特別の世界にのみ生きる事を許されている。このように「精神障害児」が社会の中で人として生きる事を拒否される中、社会に対する不信とおそれの中で生きている。
 教育現場にあっては、「精神障害者」に対する偏見を助長する教育を行ない、又、問題行動を起こす子供がどのような環境に育って来たかを問うことなく、その子供自身の責任として人物評価をし、特殊学級に編入する等、ますます社会に対する不信と社会からの隔離をはかる方向へ教育を偏向させようとしている。
 又、このように差別意識を強化し、「精神障害者」に対する偏見を育て、「精神障害者」を閉塞状況に置き差別、分断、支配の体制の防衛をはかっている。養護学校義務化という権力がかけて来たさらなる「精神障害児」に対する分類収容、社会から終身隔離をはかるという攻撃は、「精神障害児」の人として生きたいという願いを全く黙殺しようとするものである。
 私達はこのように「精神障害者」排除を助長する現在の教育体制と、明確に「精神障害者」完全排除を意図する養護学校義務化に対する闘いに決起して行かねばならない。
 私達は、労働現場における、労働収奪、管理強化(QC・ZD・MO等〉にたって、社会不適応者を「精神障害者」として排除して行く企業保安処分、又、「障害者」を切り捨てて成り立つ社会に対して反抗する時、保安処分新設でもって弾圧、圧殺するという、鈴木国男君虐殺で見せた権力の意図を見抜き、「精神障害者」が人として生きることのできる社会の獲得へ向かわねばならない。
 さらに歴史的な視点から、生産関係、交換関係、又生活全面にわたるこのような変革が、ブルジョア独裁権力の打倒と、私達の勝利によってこそ、闘いとられるべきものである事をはっきりと確認し、私達「精神障害者」解放の闘いを全ての被抑圧人民の最終的勝利に向けた展望を切り開きつつ、闘いとって行かねばならない。
 そのような確信をもって、差別立法、差別条項撤廃の闘い、ブル012>013ジョア精神医療の解体、教育、労働の現場からの「精神障害者」差別の廃絶に向けての闘いに立ちあがろう。

第四章赤堀闘争の現状と
闘いの方向に向けて
 〈赤堀さんのアピール〉
 署名運動に御協力して下さい。
 私くしは全くの無実だ。
 みなさま方の署名運動をつち(槌)にです。
 ケンリョクノ、ハンザイ証明ガゲンゼントシテイルニモ、カカワラズデス、ゲンシンハ、コトバノソウサクヲ、モチイテ、ムヤミニヒヤクシタリ、有力ナ無実証明ハ無価値デアルガゴトク、無視ヲ、シテイルノデス。
 ミナサマ方、サイバンノ、シンセイト、セイギワデス、国民が守り、支エナグレバナラナイト、ウタッテイマス。
 サイバンヲ公正ト、考ヘテイル人ワ、サイバンニ無知ナ人デアルト、ダンゲンガデキマス。サイパン官トユクモノノ、コンポン理念トハ罪ガアロウガ、無カロウガ、一旦起訴ヲサレタ人間二対シテハ、ナニガナンデモ、罪ヲ課ストユウコトデス。
 ソノタメニハ、ペテント、アリトアラユルヒレツナ方法を、
 こくししてはばかりませんです。
 何一つ罪も犯しておりません私が、ケイサツ官二、ムリヤリニ、デッチ上ゲラレテ、ゴウインニデス。キソ、サレタノデス。シカシ、一審係争中二、シンショウコガ、アラワレタノデス。
 コレデハ、ダレガミテモ、キソ、サレル事実ハ、ソウサジンノ、スヂガキデアッタコトヲ、イミジクモ、シンショウコ、シュツゲント、ユウ型チデ、ユウベンニ、ダンゲンヲ、サレタノデアル。
 シテミルト、本件争点ワ、ケイサツ官ノ、人タチガ、ドクダンデ、カッテニ、ツクリ上ゲタ、カッテニ、ドクダンニ、ツクリ上ゲマシタ、アノニセモノノ、ギコウサクノ、ウソノ調書と石の、ショウコガ、合法的二、ムスビツクモノデアルカ、否013>014カデアリマス。
 事件ガ、オキマシタ当時ニデス。
 シマダノ土地ニオリマセン人間が一体、ドウヤッテ、事件ヲ犯シタハン人者ノ、人間ト、ユエルノデショウカ。
 赤堀マサヲニハ、ハッキリシタ、正シイ、正シイ、アタラシイ、ショウコガ、アリマス。
 アリバイガアリマス。
 ワタクジニ、タイスル、フトウナハンケツヲ、ミナサマガタノ・オ力ト、署名ヲ、モッテ、フンサイノ、巨大ナ槌トシテ下サイマスヨウ、心底ヨリ、オネガイヲイタシマス。
 ミナサン方、マサヲハ、生命ガアルカギリハ、イッショウニガンバリマス。

 一九六五年の精神衛生法の改「正」を通しておし進められてきた、営利主義的精神病院の増加、強制措置入院制度の強化、精神衛生相談員新設による訪問指導等日常的監視体制の強化を柱に、現在、企業―学園を貫き、行政当局―警察―病院の結合を通して地域精神衛生網が着々と整備されてきました。このような現行保安処分体制の地域における攻撃の中で私達は自然発生的個別的にではあれ早くからこの攻撃に反撃してきました。しかし、高度経済成長の破綻、支配階級の統治能力の喪失、労働者人民への社会的諸矛盾のしわよせとそれらの矛盾に対する労働者人民の怒りの爆発という中味をもってブルジョア独裁権力の階級支配が根底的に動揺する中、「社会不適応者」の排除、隔離をテコに帝国主義的国民統合の下、支配者階級は自らの支配の維持、延命をなし切らんとしています。この意図を国家頂点から政治的に体現するものとして新たな保安処分立法化があります。このような実態的そして新たな保安処分攻撃に抗して、地域患者会の日常的諸活動の展開を基礎に具体的に阻止していく中で私達は赤堀さんのことを知ったのです。
 赤堀さんのデッチ上げを可能にした背景には、多くの差別的必然があったのです。それは「精神障害者」赤堀さん抹殺を意図する司法権力の犯罪行為のみならず、市民・労働者・精神医学(精神科医)etcと常に「差別者」として私たちに対置している市民社会の構造です。この市民社会の差別を無媒介にしては、決して差別裁判は形成されなかったことを見すえなければなりまぜん。
 第一点に、差別裁判の根底を支えた差別精神鑑定とそれを「科学」と称し作り上げた精神科医です。この差別裁判の第一回公判から赤堀さんに強制「自白書」をたたきつけ、「デッチ上げ」を叫び、無実を主張したにもかかわらず、第一審判決文に明らかに精神鑑定の影響が現われてきている事を見のがせません。「被告人のような知能の程度の人間が(中略)いつ、どこを放浪していたかということについて、明確な記憶をもっていなかったと認めることが自然なことである。しかしかような生活歴においても、本件のごとき重大事014>015件につき被告人が、相当鮮明な記憶をもっていたとしても怪しむにあたらない。」
 つまり、浮浪中のアリバノは精薄だから記憶違いも当然、しかし犯行時は鮮明であろう……。この矛盾する論法により、断定と言いくるめを裁判所に行なわせたのは他ならない差別精神鑑定書なのです。しかもあろうことか、この差別鑑定書を作り上げた過程に、赤堀さんの必死で無実性を証明しようとする陳述書、答弁書を冷やかに切捨て、司法が強制的に作り上げた「自白書」のみを信じ、それを判定素材とした精神科医の存在があったのです。彼らが、鑑定書をもって「感情的・衝動的・精神薄弱者」と決めつけてゆく恐るべき犯罪行為を見なければなりません。第二回集会で確認したように、私達は更に精神神経学会追求を押し進めようではありませんか。さらに精神医学に支えられ、罪刑法定主義(罪を犯かした量によって罰すること)を否定し、将来予知の下に、私達を隔離・抹殺する保安処分に共通項を見なければなりません。
 第二点として事件当日のアリバイ証明が浮浪生活の為困難だった不運があげられます。この不運は単に偶発的なものではないのです。能力・生産主義の「差別社会」からはじき出され浮浪生活を強いられた精神障害者のみがたどる必然があります。私達がこのことを直視する時、労働者階級が精神障害者を排除し、経済闘争に終始した限界、並びに階級内の対立図式を放置し続けた歴史的犯罪行為が浮かびあがります。とりもなおさず、労働基準法51条で労働者階級が私達を排除し続けた差別性は、断じて許してはならないのです。
 第三点に市民一般に確定的に内在する偏見が、マスコミ、証人、証言をものみ込みつくした事実を見なければならないのです。地域住民は「治安の乱れ」の不安、「犯人」の推測の広がる中で警察のデッチ上げ、マスコミの「精神障害者」差別キャンペーンを見抜くことが出来ず、「犯人」とされる者を知らされた事のみに安心し、赤堀さんの人間性を切り捨て「犯人」と思い込んでしまう世論を作ってしまったのです。この世論はすでに社会内部に深く浸透し、「精神障害者」排除の社会機構を形成し、精神病院に私達を送り込む図式につながっているのです。
 赤堀さんの個体史を見る時、ブルジョア教育から切り捨てられ、「マーコー」「テイノー」とさげすまれ、のけものにされた赤堀さん、精神病院に強制的に入院させられ「電パチ」を10数回にわたってやられ脱走を試みた赤堀さん、「差別のらく印」を押され就職差別を受けながらやっとの思いで就職した東海パルプにも人員整理の際、入院歴があることをもって真先に首を切られ「浮浪生活」を強いられていく赤堀さんが鮮烈に浮かび上がり、赤堀さんの生きざまが私達「精神障害者」の生きざまと実にピッタリと重なるのです。さらにそのような赤堀さんを警察、マスコミ、島田市民は島田事件の犯人としてデッチ上げ、司法権力は極刑(死刑)をもって血祭りにしようとしました。「精神障害者」に対する一般市民の差別、偏見に基づいた徹底した排外主義、それに加担するマスコミ、警察―015>016司法一体となった「精神障害者」をいけにえとしてブルジョア独裁社会を防衛する攻撃、赤堀さんが犯人にデッチ上げられる過程、裁判過程は前述のようなものであり、これはまさに保安処分の先取り実質化攻撃以外のなにものでもありません。以上述べてきたように、赤堀さんが引きずってきた悲惨さは、私達「精神障害者」総体の運命であり、まさに第二回集会で私達が確認し合った「赤堀さんを殺して私達の明日はない」の言葉の通りなのです。
 一九七一年、金・ドル交換停止―IMF体制の崩壊を決定的な画期点とした世界資本主義の根底的破産―全世界的な不況とインフレの同時進行に規定され、日本資本主義は行きづまり―高度成長の破綻と安定成長への転換を背景としてその矛盾を激化させつつあります。そして、ブルジョア社会の崩壊局面は深まり、労働者人民の闘いは社会の深みからふき上げています。この情勢の中で、支配者階級(ブルジョアジー)はその階級支配を延命し、ブルジョア社会を防衛するため、一方において労働者人民の闘いを弾圧諸機構をもって圧殺しつつ、同時に労働者人民を再度「国民」として階級支配の下に統合するため、必死の策動を行っています。天皇の政治過程の前面への登場こそはその策動の頂点としてあり、その対極には、私達「精神障害者」・「障害者」・部落民etcのあらゆる被差別人民に対する差別の拡大強化攻撃があります。つまり、歴史的に形成されてきた一切の差別を拡大強化することをもって、労働者人民に排外主義をあおり、分断支配を打ち固めることによって、労働者人民を国家の下に、天皇の名の下に「国民」として統合せんとする攻撃なのです。階級矛盾が激化し、社会不安が増大する時代において、小市民の危機意識は「精神障害者」=「犯罪の温床」へと向けられ、「社会防衛論」が社会に流布します。支配者階級は、階級矛盾をインペイし危機を乗り切るために、その小市民の危機意識を積極的に組織し、利用動員しつくさんとしています。この攻撃の最終的完成として、赤堀闘争の圧殺―赤堀差別裁判の第四次再審棄却決定は、第四次再審請求の中で突き出された、法医学的反証、アリバイ証明が示され、「自白」の任意性が崩壊すると、「精神障害者は記憶が不鮮明」と独断、推論で差別的棄却をしたのです。この不当性は更なる「精神障害者」への差別、偏見を助長し、法の名の下に虐殺する歴史的暴挙であります。そして、それをレール(呼び水)としての保安処分新設があるのです。つまり、赤堀さん虐殺を法制度的に打ち固めることによって、小市民の「精神障害者」に対する差別意識を拡大再生産し、保安処分新設を納得のいく形で小市民の射程に入れ、「精神障害者」の犠牲の上に「国民」統合をなし切り、ブルジョア社会の安定を再確立するものとして、赤堀差別裁判=赤堀さん虐殺の攻撃があるのです。
 全活、全陸連も含めた赤堀闘争全体の運動がたち遅れていますが、その中にあって私達「病者」集団の赤堀闘争への取り組みは、いまだ不充分性をかなり残しています。まず、「病者」集団独自の運動形成について問題点を整理してみます。016>017
 仲間はそれぞれの独自の矛盾―個別利害を鋭く突き出し、それを運動の団結をもって「精神障害者」独自の利害として地域、差別構造に突きつけていくものとして地域患者会があります。(もちろん「精神障害者」の特殊性〈病苦と闘いながら―〉により、地域患者会の中で仲間どうしが相互に支え合う関係を基礎として持つのですが。)そのように「精神障害者」がかかえる諸矛盾が個人のものから集団のものへとなっていく中で、仲間が個別にかかえてきた矛盾が、仲間が個々を貫いて共同化された矛盾として見えてくるようになり、患者諸個人の結合が深まり、共に闘う課題が鮮明になってきます。赤堀闘争という私達「精神障害者」独自の利害の政治的突出は、前述のような地域患者会の発展を基礎にもたなければなりません。もし、「精神障害者」の個別の利害を飛び越して政治的な結合を成し遂げようとするなら、もちろんのことではあるが、単に患者どうしであるということでは結合は抽象化され、観念的にしか患者と患者のつながりがもたれないということになってしまいます。
 地域的結合と全国的結合
 赤堀闘争は大衆運動という性格をもちつつ同時に敵司法権力を実カでもって私達に屈服させ、現実に赤堀さんを奪い返す実力闘争であります。このような闘争構造と地域的特殊性のゆえに、地域患者会は、地域で赤堀闘争を闘う戦線と結合し大衆運動を発展させなければなりません。その際、私達としては次のような姿勢をもって共闘関係を築いてゆきたい。「一般」市民、労働者の中にも「精神障害者」に対し根深く浸透している社会意識としての差別意識があります。従って、みずからの小市民的な安全のために、必要悪として私達を犠牲にすることに目をつぶっている労働貴族、「組織」労働者には、断固、糾弾の声をあげねばなりまぜん。しかし、私達は、「健常者」対「障害者」という対立図式が固定化されている差別社会の構造の変革へ向けて多くの「健常者」―とりわけ労働者階級―と共闘してゆく用意があります。以上のような地区的結合と同時に、各地域を貫いて全国「病者」集団独自の闘い方を実力闘争、「精神障害者」防衛問題も含めて、追求してゆかねばなりません。「精神障害者」総体にかけられる政治的攻撃に対しては、全国的結合の強化、発展がその攻撃を粉砕し得るか否かの鍵となり、従って地区的結合を推進する地域患者会の全国的結合は大切です。
 今後の方針にむけて
 赤堀差別裁判は「精神障害者」抹殺の差別裁判であり、司法の権力犯罪です。
 この暴挙を支えたものは「精神障害者」排除の差別社会にのめりこみ、無自覚に加担した市民、労働者、精神科医です。私たちは、それら加担者の徹底的な糾弾抜きには、第二第三の赤堀さんを出さない保障はないし、自らの明日も絶対に保障しえないと、認識すべきです。
 赤堀さんを死刑に追いやったすべての「差別社会」の住民の差別と偏見にアプローチし、覚醒をうながし、赤堀さんを獄中から奪い017>018かえし、私たちの解放を克ち取らなければなりません。
 今集会での確認をふまえ、今後、以下の方向で差別裁判糾弾闘争を前進させるよう提起します。
 ①第一に獄中闘争として
 イ 赤堀さんとの日常的、交流・面会で激励し、24年の孤独な獄中生活に人間の息ぶきを伝え、互いに学びあい、連帯を強めること。
 ロ 獄中の劣悪な生活遠境に改善を要求し、具体的には暖房、医療を改善し、獄中死を絶対にさせない。
 ②法定闘争について
 イ 赤堀さんの上申書に添って、その真実を立証するすべての作業をやり切ることが要求されている。従って、いまだかくされている全証拠の開示、証人の採用をふくめ、無実の証明をすること。
 ロ 3・11棄却は「自白」の任意性、信ぴょう性がくずれたことを認めざるを得ない棄却判決であるが、それを繕うための「記憶の不鮮明」=「精神障害者」は、差別の拡大、助長をうながし、推論でしかない。このことを中心課題として棄却決定内容のぎまん性を暴露し、差別判決を否定する学習会をやりきること。
 ハ 弁護団の形成、真に闘う弁護士の育成、獲得。
 ③大衆闘争として
 イ 差別裁判の土壌となっている偏見の除去を各地域が組織的にとりくむこと、とりわけマスコミ、保安処分立法化の世論形成に反撃を加え、赤堀差別裁判へ一般大衆の決起をうながすこと。
 ロ 差別裁判の間接的加担者、労働者へむけて、情宣を徹底化し、その差別性をつきつけ労働運動の質的転換をうながしながら、闘争への参加を要請すること。
 ハ 各地共に闘う会と日常的に、支援・協力関係を樹立しながら、差別社会の変革へ向けて、共同闘争をくむこと。また、未形成の地域に赤堀さんと共に闘う会を形成してゆくこと。
 ニ 精神神経学会への差別鑑定の批判をつきつけ、裁判闘争に学会総体をまきこむこと。

Open Letter to WPA

This letter is in reaction to the latest issue of World Psychiatry (Volume 18, Issue 1, February 2019), an official journal of the WPA. We would like to express our concerns in regard to both its content, as well as the perspectives excluded when putting this issue together.

In terms of content, we would particularly like to draw attention to the Editorial: while discussing the challenges of implementation of the CRPD, the author presents ‘ignoring, re-interpreting or amending the CRPD’ as ways forward, and concludes that governments should “ignore the Convention when it would interfere with a commonsense approach” (Appelbaum, 2019:2). This is nothing less than an official call by the WPA to ignore international law and the hard-won rights of persons with disabilities, including those with psychosocial disabilities as enshrined in the CRPD. Coming from the representative international organisation of psychiatric professionals, this call could damage national efforts to build a legal framework in compliance with the CRPD, which is an immediate obligation of states parties. The “common sense” approach and the lack of scrutiny of psychiatry that has prevailed up until now has had a devastating impact on persons with psychosocial disabilities. This approach to the rights of a marginalized population tends to naturalize discrimination; thus the need for human rights treaties.

In terms of the process behind and the methodological approach of the issue of this journal, we see that the debate on central issues of our lives such as our capacity, our best interests and our will and preferences is taking place without us: none of the eight invited commentaries to the Forum that discusses the above issues in relation to the CRPD (Szmukler, 2019:34-41) is authored by people who know psychiatric forced treatment first-hand and oppose it.
Users and survivors of psychiatry from every region of the world and other persons with disabilities involved directly in the negotiation and drafting of this landmark Convention achieved a rare consensus, together with States parties, on the need for a new paradigm with a human rights based, non-discrimination and social approach to all disabilities. This was not “due to a drafting process that was captured by some of the most radical elements of the patients’ rights move¬ment, which are willing to sacrifice the well-being of persons with disabilities” (Appelbaum, 2019:1), but rather, was a milestone achievement in our shared humanity and belief in freedom.

This new paradigm need not be based on “psychiatric expertise”, the concept of “mental illness” and “clinician input” which the WPA believes is lacking, but on the continued efforts of persons with disabilities themselves to meaningfully contribute to the many changes needed to implement the CRPD. The majority of contributors to this issue from the psychiatric sector paint a very polarised picture of implementation versus non-implementation of the Convention. Issues such as the interpretation of will and preferences, advance directives, how to provide “effective” support, protection from undue influence and exploitation, or the required changes to criminal law allowing persons with disabilities proper accommodation and support do not by definition require depriving persons with disabilities of their freedom and decision-making capacity. Fundamental rights do not inevitably contradict each other as Szmukler and several other psychiatrists in this issue claim. This is what persons with disabilities, civil society, professionals and State authorities need to work on together.

The overall approach of this whole issue therefore not only promotes the maintenance of the status quo but also exemplifies the very practice of excluding and substituting our voices. We write this open letter from the perspectives of those who have been denied legal capacity, whose will and preferences have been ignored and their “best interests” defined by experts; we write from the perspectives of those who have been abused by forced psychiatric treatment and are traditionally and purposefully being excluded from spaces such as this journal, where our lives are being debated. Indeed, the CRPD is precisely there to ensure that what we have to say is not silenced and marginalised any longer.

In this brief statement, we will not engage in detail with the argumentation presented by Szmukler. We have read it with great interest together with all the commentaries and found ourselves in agreement with several counter-arguments presented (Bartlett, Funk and Drew, Flynn, Puras and Gooding). Rather than repeating what has already been said – we will point to some additional aspects that we feel have not been sufficiently addressed:

1. Coercion is not care – even as an “exception”

All the argumentation in favour of occasionally depriving people with psychiatric diagnoses from their fundamental rights and their physical and mental integrity in order to protect them – rests on presumptions about the helpfulness and effectiveness of psychiatric treatment. Little attention is paid to the nature of this treatment and the existing evidence of its ability to help, protect and support. Moreover, there is no evidence in support of the biological nature of what is being treated (Kupfer, 2013)or the success of such treatment(Bola and Mosher, 2003). On the contrary, there is a considerable amount of evidence that contests such treatment and also points to poor health outcomes and drastically shorter life-expectancy of those psychiatrically treated(Moncrieff, 2016, Gøtzsche et al., 2015, Moncrieff, 2013, Whitaker, 2010).The conflicts of interest of policy makers, prescribers and institutions in dealings with the pharmaceutical industry and a lack of transparency regarding trials and the effectiveness of treatments should also be taken into much greater consideration (Mental Health Europe, 2019).

In the light of these facts, the promotion of (forced) psychiatric treatment as a ‘right to health’ is particularly ironic. The whole debate exclusively focuses on ‘patient characteristics’ while leaving the characteristics of treatment completely unquestioned. Thinking CRPD and its implementation is inseparable from shedding light on and re-evaluating biomedical responses to people deemed psychiatrically “disordered”. Instead of promoting the necessity of forced pharmacological and electroconvulsive treatment as a solution to complex situations, there should be honesty and transparency about the contested nature of these treatments, their many evidenced damaging effects and their failure to prevent what they claim to be ‘preventing’: see for example Swedish suicide statistic from 2007 which shows that 86% persons who committed suicide in that year were treated with psychiatric medications in the year of their suicide(Larsson, 2009).

2. The exception quickly becomes the norm

As several authors in the WPA journal and other scholars have observed, interventions that are initially introduced as ‘exceptional’ or a ‘last resource’ often end up becoming the norm and turn into the first resource used. This trend can for example be observed in the significant increase in the community treatment order (CTO) rates in the UK since their introduction(Trevithick et al., 2018)as well as in the increase of both involuntary hospitalisation with the introduction of a fast-track “imminent peril procedure” and CTOs in France since the 2011/2013 law reform (Coldefy et al, 2015). For international comparison, see also various European country statistics (Mental Health Europe, 2018).

3. Disproportionate use of coercion in treatment of disadvantaged social groups

If forced interventions are aimed at protection and life-saving – why are some members of the population more often than others on the receiving-end of such interventions? Can it be that psychiatry ‘cares’ more for people of colour or people socially excluded and/or living in poverty? The independent review of the Mental Health Act in the UK for 2017/2018 determined that “there were 289 detentions per 100,000 population for the black or black British group, compared to 72 for the white group” and that “CTO rates for the black or black British group were over eight times greater than for those in the white group” (Legraien, 2018),The institution of psychiatry is part of other systems of oppression that intersect with each other and work in synergy. How can we work towards change if this reality is not even recognised and the debate continues in abstract and universal terms only? The implementation of the CRPD requires development of systems of support capable of addressing and balancing out powers rather than reproducing and enforcing structural inequalities of our lives by virtue of not even seeing them.

4. The possibility of forced treatment alone makes any interaction with mental health services potentially coercive

The journal’s debate approaches involuntary psychiatric treatment as a fully separate issue from voluntary treatment and fails to recognise that it is the coercive potential of treatment that determines its overall impact and is in complete opposition to the very notions of support and healing. Involuntary interventions do not affect just those subjected to them:
“That an individual can be compelled to receive psychiatric treatment affects each in-patient regardless of whether his stay is formal or informal. It is hardly possible to be unaware that you are being cared for within a legal framework that allows for treatment against your will.” (Campbell, 1996:59)
The option of forced psychiatric treatment affects each citizen (although not equally) and has implications for anyone who comes into contact with the mental health system. The related debate can therefore not continue based on ‘exceptional’ cases and constructed scenarios only.

IN CONCLUSION
The provisions of the CRPD open up fundamental questions about how we relate to each other in society, including in difficult circumstances, such as for example suicidal crises. There are neither easy answers to such questions, nor can they be resolved by legal documents only. The value and one of the most important contributions of the CRPD is that it opens up new avenues for thinking through questions and reclaiming of tasks that were traditionally delegated to psychiatry. Based on a social model of disability, the UN CRPD and the CRPD Committee’s guidance offer us an important prospect to shift away from the biomedical paradigm when approaching madness and distress and explore not only dignified but also socially responsible and good-quality responses to human crises. This requires the relinquishment of power by the psychiatric profession and a re-definition of psychiatry’s role in society. At times of such a significant historical turn, rather than admit its many failures and join efforts to collaboratively develop different and better responses, the WPA has chosen to expand its ‘expertise’ into the field of lawmaking in order to ‘save the CRPD from itself’.

If this is not the case for the whole of this profession, and if there are WPA members who do not agree with this call to amend the CRPD and in the meantime to ignore it, if there are psychiatrists in the world willing to “break from the old, controlling paradigm” (Bartlett, 2019:50) and take new departures– then it might be about time for them to speak up.

Signatories:

References
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WHITAKER, R. 2010. Anatomy of an Epidemic: Magic Bullets, Psychiatric Drugs, and the Astonishing Rise of Mental Illness in America New York: Broadway Paperbacks.

優生思想との訣別――旧優生保護法被害からの人権回復に向けて

日 時:2019年3月31日 13時00分~17時00分(開場12時00分)
場 所:立命館大学朱雀キャンパス 大ホール
   (京都市中京区西ノ京朱雀町1)
主 催:京都弁護士会、立命館大学生存学研究センター

チラシ

・基調講演―優生思想・政策の歴史
利光惠子(優生手術に対する謝罪を求める会)
・各地からの報告
京都弁護団、兵庫弁護団、片方司(被害者)など
・パフォーマンス
由良部正美(舞踏家)×石井誠(書家)
・コメンテーター
立岩真也(立命館大学教授)

趣旨
 本企画は、旧優生保護法のもとで行われてきた優生手術をめぐる問題について、私たちがどのように捉え、これから何をどのように取り組んでいけばよいのかを考えることを目指すものである。
 そのために、優生思想・優生保護政策の歴史を踏まえながら、強制的な優生手術という人権侵害を受けてきた人たちの声を聞き、今なお様々な形で潜んでいる優生思想に対して抵抗していく方法を模索したい。
 現在、各地で旧優生保護法下で強制不妊手術を施された人たちが原告となり、国に対して損害賠償を求める訴えを起こしている。国は、優生保護法に関連して被害を受けた人たちの被害の回復、救済について、議論を進めている。だが、深刻な人権侵害に対して、国は旧優生保護法の違憲性には見解を示さない姿勢を固辞している。こうした状況では、優生保護法に関連して被害を受けた人たちがいるにもかかわらず、調査や救済対象の範囲から除外されてしまうことは明らかである。もっとも重要なことは、今もなお被害にあったことが隠されてしまっていたり、言いたくても言い出せない、被害を被害として感じられていない人たちがたくさんいるということである。被害にあった人たちやその周囲にいる人たちが安心して声をあげられるように、優生保護法に関連して人権侵害を受けた全ての人たちに対して国からの謝罪と賠償を求め、何が行われてきたのか綿密な調査による実態解明を求めていく必要がある。
 シンポジウムでは、京都の弁護団、兵庫県の当事者と弁護団、岩手県在住の当事者である片方司さん、利光恵子さん、立岩真也さんにご登壇いただく。京都の弁護団、兵庫県の当事者と弁護団、片方司さんからは、優生手術の状況と裁判の取り組みについてお話しを伺う。とくに、片方司さんは2003年に精神病院を退院する際に断種手術を強要されており、優生保護法が母体保護法に改定された後での被害者である。片方司さんからのお話しからは優生保護法が優生思想という形で引き継がれてきたことが確認できるだろう。利光恵子さんには、優生思想・政策の歴史について報告していただく。そのうえで、立岩真也さんからは、全体の話を通して私たちがどのように考えこれから取り組んでいけばいいか、方向性を見いだすための論点や課題を提示してもらう予定である。また、こうした優生保護法をめぐる問題に取り組む際に、私たちの身体や生命に優劣はなく、優劣をつけるということ自体が差別だということを確認したい。そこで、筋ジストロフィーの身体を持ちながら「生」を書で表現してきた石井誠さんの書を展示し、身体の在り様を身体で表現することに取り組んでいる舞踏家の由良部正美さんにパフォーマンスをしてもらう。

連絡先:〒603-8577 京都市北区等持院北町56-1
    Tel 075-465-8475 Fax 075-465-8245

旧優生保護法下における強制不妊手術に関するJDFフォーラム

旧優生保護法(1948~1996年)のもとで、障害のある人などが強制的に不妊手術等をされていたことが明らかになっています。現在、19人の被害者が国を訴える裁判を起こすとともに、国ではこの問題に関する立法の作業を進めています。
この事実を学ぶともとに、全国の動きや各団体の活動などを共有し、考えるフォーラムを行います。

日時 2019年3月5日(火)12:00~14:30(受付11:30~)
場所 参議院議員会館 講堂(東京都千代田区永田町2-1-1)
主催 日本障害フォーラム(JDF)、全国優生保護法被害弁護団
協力 優生手術に対する謝罪を求める会

入場無料
●プログラム●
開会挨拶 阿部 一彦 日本障害フォーラム(JDF)代表
来賓挨拶 優生保護法下における強制不妊手術について考える議員連盟の法案作成のためのプロジェクトチームほか(予定)
基調報告 藤井 克徳 JDF副代表

旧優生保護法による強制不妊手術に関する全国の動き
新里 宏二 弁護士/全国優生保護法被害弁護団共同代表
優生手術被害者・家族の会などより

各団体の取り組み・提言

まとめとアピール

●申込み・問合せ先●
JDF事務局 FAX 03-5292-7630
電話 03-5292-7628

デジタル紙芝居で語る私たち当事者のストーリー~デジタルストーリー・テリングを用いた作品上映会

 近年の研究によると、人は一生の間に5人に1人は一生の間に何らかの精神疾患にかかると言われているようです。
 精神疾患は決して珍しいものではないはずです。
 しかし、残念ながらまだまだ精神疾患、障害のことがオープンに語られるようにはなっていないように思います。
 他方で、精神障害それ自体を一般化した理解啓発にはどこか限界を感じています。
 症状や困りごとには波があり、当事者としても説明するのが難しいことがあります。
 今回の企画では、ひとりひとりの語りを通じて、精神障害のこと、精神障害者のことを多くの方々に知ってもらう機会になればと企画しました。
 「私のライフストーリー」をテーマにして、DST(デジタルストーリーテリングテリング)の手法を用いて作品を創作しました。
 当事者会としても経験の語りを育む貴重な機会となりました。
 実験的な取り組みでしたが、その取り組みや今後のビジョンをみなさんと語る機会になればなとも思います。
 どうぞお誘いあわせのうえご参加ください。

日 時:2019年2月24日(日)14:00~16:00
会 場:大田区立入新井集会室 大集会室
https://goo.gl/maps/21MRsfM1aZ12
資料代:500円
定 員:80名
対 象:障害当事者、家族、支援者、医療者、行政、議員、その他関心ある市民の皆様

●第1部 DST作品上映
・障害者雇用の経験
・精神科病院の入院体験
・精神障害とどのように向き合っているか etc
※都合によりタイトルは当日発表いたします。
※上記から当日変更の場合もございます。ご承知おきください。

●第2部 作品の作り手とともに語るわたしたちのこと
・当事者会メンバー数名(予定)
・進行:山田悠平(精神障害当事者会ポルケ代表)

主 催:精神障害当事者会ポルケ
後 援:全国「精神病」者集団、大田障害者連絡会、おおた区民活動団体連絡会、おおた社会福祉士会
助 成:Heart&Arts プログラム
申し込み:https://goo.gl/forms/JABW55suvJw3seUE2
連絡先:080-5484-4949(担当:山田)

京都府ピアサポーター意見交換会

「ピアサポーターの役割について」外部講師を招いて研修会
日時:平成31年2月19日(火)13時~17時
場所:京都府精神保健福祉総合センター体育館
講師:三田優子(大阪府立大学人間社会システム科学研究科准教授)
   桐原尚之(全国「精神病」者集団運営委員)
対象:京都府内の当事者、専門職
内容:講演とグループワーク
 

~第2回 実践ピアスタッフ研修会~

■実践ピアスタッフ研修会とは??
ピアスタッフやピアサポートに関する研修は数あれど、実際の活動をとおして感じ、考
えることを深める研修会は少ないように感じます。そこで、より実践的な内容をテーマ
にした研修会です。

●日にち:2019年2月24日(日)
●場所 :聖学院大学 4402教室・4403教室
    (4号館4階エレベーター対応)
     会場は12時?17時までとっております。
●参加費:300円(当日お支払いください)
●定員:30名(先着)
●プログラム

・講話
テーマ1:
「ピアスタッフと専門職 ー違いと共通点ー」
 工藤 きょう子 氏

テーマ2:
「病識が浅く拒薬傾向のある方への関わりー作法と2重見当識を巡ってー」
 関口 明彦 氏

・グループワーク

テーマ1,2の講師を中心に2グループに分かれて、それぞれのテーマに関して深めて
いきたいと思います。

※お申し込み 下記のリンクからお申込み下さい
 https://goo.gl/forms/9j3QJCFewAhvgvQN2