日本弁護士連合会(以下、「日弁連」とする。)は、2022年10月17日付で、厚生労働省「地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会」(以下、「検討会」という。)報告書の身体的拘束要件の見直しに対する意見書を公表した。
当会は、当該意見書を身体的拘束のゼロ化に向けた取り組みとして評価している。また、主張の趣旨については、基本的に同じ方向を共有しているものと考える。しかし、当該意見書は、論拠に重大な誤信を含んでおり、精神科病院側からの反論があったときには回答できなくなる程度の重大な脆弱性をはらんでいる。このような意見書が発信されたことは、運動を混乱せしめ、あまつさえ分断さえも持ち込みうる危険な行為である。全国「精神病」者集団としては注意と議論を喚起するべく、以下の通り見解を述べることにした。
1.日弁連意見書の誤信について
日弁連意見書は、検討会が取りまとめた報告書において、精神科病院における身体的拘束につき、処遇基準告示の見直しの方向性に対して要件の厳格化につながらない重大な誤りを含んでいることから、実質的な要件の緩和であると位置づけて反対している。しかし、その論証過程には、幾度にもわたる論理の飛躍が認められ、法曹団体の意見書としての体裁をなしていない。
まず、意見書は、対象を限定するのであれば、多動又は不穏が顕著な場合の厳格な解釈基準が示されなければならないとしている。しかし、第一に、ここで唐突にも解釈基準なるものが登場しているわけだが、これが何であるのかが不明と言わなければならない。第二に、このような実体不詳の架空の概念を前提に論旨が展開されること自体が論理としての実証性を損なわせていると言わざるを得ない。
次に、多動又は不穏が顕著な場合の解釈基準なるものが示されず、「多動又は不穏が顕著」であることを前提として、「治療の困難性」という追加要件を付すことで、むしろ同要件の拡大解釈を許容するものになっているとしている。これに至っては、多動又は不穏が顕著な場合であり切迫性・一時性・非代替性の三要件を満たしたとしても、治療困難でない場合は身体的拘束ができないことになるわけだが、それを要件の拡大と言い切る論拠が示されていない。
かろうじて論拠と読められなくはない部分としては、①医師の主観的な治療方針や、病院の人的・物的体制といった医療側の事情により、「治療が困難である」と安易に判断され、これまでよりも緩やかに、身体的拘束が行われる危険性があること、②「治療の困難性」という追加要件を付加することは、「多動又は不穏が顕著」の要件該当性を緩やかに許容する効果をもたらすおそれが極めて高いということの2点が挙げられている。
しかし、①については、「実質的な要件の緩和」と書かれていることからも実際は法令釈義の問題ではなく、患者の治療困難要件が「現場においてどのように読まれて運用され得るのか」といった性格の問題である。それなのにもかかわらず、当該意見書では患者の治療困難要件が現場においてどのように読まれて運用されるのかという問題と法令釈義の問題とが混同したかたちで書かれてしまっている。また、単に現場における読まれ方の結果として身体的拘束増加の懸念があるというだけのことを、あたかも要件の緩和の結果として身体的拘束が増加するが如く論点をすり替えている点も看過しがたい。このことからも当該意見書の論証では、要件の緩和という法令釈義上の問題として主張する論拠にはならない。②については、患者の治療困難要件を加えることで、多動又は不穏が顕著である場合の対象者像が拡大するかの如く書かれているが、これも実質的な要件緩和という法令釈義上の問題を装いながら、実際には現場での読まれ方の問題に論旨をすり替えたものとなっている。
この他、患者の治療困難要件は、患者の生命・身体の保護のための緊急やむを得ない場合に該当しないという主張と、強制治療を示唆するという主張が論拠として示されているが、論理的には、このような主張は成立しない。概念上は、患者の生命・身体の保護のための緊急やむを得ない場合で、かつ治療困難な症例は成立する。よって、患者の生命・身体の保護のための緊急やむを得ない場合であることと治療困難は論理的に矛盾しない。
強制治療については、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律にこそ具体的な規定がないものの、判例では通常の医事法理の枠組みで患者の生命・身体の保護のための緊急やむを得ない範囲であれば、要件を満たすことで侵襲行為の違法性が阻却されるものと判示されている。よって、患者の治療困難要件を加えることで、従来、認められてこなかった強制治療が容認されるなどということにはならない。また、仮に治療困難であるから身体的拘束を開始したとしても、その下で強制治療を施すことを当然とするかどうかは別の問題であり、法令釈義ではなく運用上の問題として考えられる必要がある。
以上から、あくまで、多動又は不穏が顕著な場合であり切迫性・一時性・非代替性の三要件を満たしたとしても、治療困難でない場合は身体的拘束ができないわけであるから、その意味で要件自体は、厳格化されたものと認めるほかない。しかし、要件自体は厳格化であるとしても、それでもなお残される懸念として、医療現場において「多動又は不穏が顕著である場合」や「患者の治療困難」などの言葉がどのように読まれて運用され得るのかを問題にしていく必要がある。そのため、本来は、これらを通じて、多動又は不穏や治療の困難の削除を主張していくべきだと考える。
2.問題点①:交渉を困難せしめる危険性
日弁連意見書は、論拠に乏しい。そのため、このような論点で実際の交渉に臨み、成果を出せない者が相次ぐことが懸念される。討論は、争点を明確化した上で議論を闘わせる必要がある。論理の破綻を含んだ噛み合わない主張では、国との交渉で国の有利を方向付けることになり、結果として国の思惑通りの施策を追随せざるを得ない状況をつくりだすことになる。
3.問題点②:患者の治療困難要件削除への消極的な論旨展開
このような論旨の展開では、多動又は不穏が顕著である場合の要件に厳格な解釈基準なるものを加えさえすれば、患者の治療困難要件を認めるかの如く読めてしまう。極め付けに欠いた意見書であると言わざるを得ない。
4.問題点③:当事者無視の意見書
論理の飛躍の指摘とは別に、我々、当事者の運動が主張してきた「身体的拘束の廃止までの間、喫緊の課題として告示にある多動又は不穏が顕著である場合の削除をすべき」という主張と意見書は相反するものとなっている。意見書では、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の下で身体的拘束の要件を厳格化する告示改正を主張しており、廃止の立場を共有していない。
また、要件については、多動又は不穏が顕著である場合の要件の存在を解釈基準なるものとともに前提としながら、患者の治療困難要件の良し悪しを論じるかたちをとっている。あくまで、検討会でも多くの構成員から指摘があったのは多動又は不穏が顕著である場合の要件自体の削除である。当該意見書は、この問題を何一つ取り上げていないため、他団体との連帯を意識しない独善的な印象を持つ。他団体と連帯して取り組む姿勢を期待したい。