処遇基準告示の改正について様々な見解が錯綜しています。中には、理由と言えるような理由を示すことなく処遇基準告示改正阻止を掲げるものまで出てきており、混乱が著しく看過できない事態であると考えます。そこで、処遇基準告示改正阻止を掲げる立場の人が理由として挙げている、①一時性要件の必要な期間は医師が判断するため無限大に拡大し得る、②人身の自由に係るものであり告示ではなく法律によるべき、のそれぞれに対して全国「精神病」者集団としての見解を述べたいと思います。
1 これ以上、仲間に対して現行告示下の入院を強いてはならない
現行告示にも、切迫性・非代替性・一時性の3要件が文章に溶け込んだかたちで存在します。しかし、文章にすると現場の医師が読解できないため、実際には「多動及び不穏が顕著」という理由だけで身体的拘束が開始されてしまう例が散見されます。そのため、3要件はあくまで箇条書き化して、それぞれ別々に診療録に理由を記載する必要があります。
全国「精神病」者集団としては、これ以上「不穏及び多動が顕著な場合」を十分条件であるかのように誤解して漫然と拘束する事例が散見される現行告示下に入院者をとどめ置くべきではないと考えます。今回の告示改正も十分なものとは言いませんが、完璧を目指し過ぎて貴重な機会を失い、結果として数年先まで仲間に現行告示下の入院を強いるような事態だけは避けなければならないと考えます。よって、この度の告示改正自体は、進められるべきものと考えます。
2 一時性は医師が判断するため無限大に拡大するという指摘に対して
野村総研が委託を受けておこなった調査報告書では、「身体的拘束は一時的におこなわれるものであり、必要な期間を越えておこなわれていないものである」が一時性要件のイメージ案として示されています。このうち、「必要な期間を越えておこなわれていない」を切り取り、必要な期間は医師が判断するものであるため、医師が判断したら無限大に必要な期間が拡大されるのではないか、という指摘が出されています。
しかし、この指摘が告示の問題ではなく、医師が判断する枠組みである限り付きまとう問題です。むしろ、医師が判断する仕組みだからこそ、告示等に基準を設けて恣意的な運用に歯止めをかける必要があると考えられてきたわけです。
また、前段には「必要な期間」が「一時的」と書かれているので、代替手段が見つかるまでの一時的な期間であることが自明です。仮に医師が恣意的に一時性要件を解釈して身体的拘束を開始したとしても、改正告示によって正当化されることはありません。その場合、診療録を事後的に検証し、司法救済などを検討することもできます。
よって、この一時性は医師が判断ため無限大に拡大するという指摘は、全く理由にさえなっていません。
3 告示ではなく法律によるべきという主張に対して
告示改正に反対する理由として、人身の自由に係るものであり告示ではなく法律によるべきというものがあります。これについては、「告示改正がよいのか」という問いではなく、「告示に定めるのが良いのか」という問いへと巧妙にすり替えられており、告示改正の良し悪しとは別のレベルの議論になっています。そのため、議論にさえならないと考えます。
そのことはそのこととして、「告示ではなく、法律に定めろ」という主張は、一見するとよい方針のように感じますが、実は、きわめて重大な問題がいくつもあります。
まず、大前提として身体的拘束は、それ自体をゼロ化すべきです。身体的拘束を告示から法律に位置付け直せばよいなどというものではありません。法律か、告示か、などという定める法令の種類を論じるなどナンセンスです。
次に、成文法に身体的拘束を定め合法化するということは、個別の事例から司法が判断できたであろう可能性を成文法に引き付けられることで著しく狭める結果をもたらします。これまで医事法理は、医療過誤のように司法判断に依拠して進められてきました。ここにきて、司法の可能性を摘むのはナンセンスです。
最後に「告示ではなく、法律に定めろ」の方針は、もっとも重要である障害者権利条約の初回政府審査に係る総括所見(勧告)に基づく見直しの契機を失わせるものであり、政策としては完全に失敗していることが指摘できます。今から精神障害者の身体的拘束を法律に定める議論をはじめるとしたら、2027年ごろに予定されている次期法改正のタイミングしかありません。全国「精神病」者集団は、次期改正までに非自発的入院廃止の合意を目指して取り組んでいます。非自発的入院廃止の綱引きをしている一方で、身体的拘束を法律に位置付け直すための議論を喚起するようなことは、障害者権利条約の趣旨にも反しておりナンセンスとしか言いようがありません。「告示ではなく、法律に定めろ」という主張は、勧告実現に著しく逆行したものであり、障害者権利条約の履行を推進する障害者団体の立場としては、絶対に認めるわけにはいきません。
以上から、「告示ではなく、法律に定めろ」は、もっともらしく聞こえるようで、実際は思い付きの域をでないものです。
4 改正の賛否について
以上の理由から告示改正反対の主張には、現時点では理由がありませんので、間違っても先述の主張には賛意を示さないように注意を喚起します。
一般的に法令改正への賛否は、今より良くなるのか、悪くなるのかを軸に判断するものと考えられています。そのため、例えば「もっと良くすることができたのではないか」という判断軸は、本来的なら賛否の議論には馴染みません。「もっと良くすることができたのではないか」については、今より良くするための改正を進めつつ、別枠で今後の課題として位置づけられるのが一般的です。ただ、あえて反対の立場を駆け引き的に用いて、より短い期間で課題を解決するという手法もあります。
しかし、今回の告示改正は、全国実態調査において拘束増の原因の特定に至らなかったこともあって、エキスパートコンセンサスを政策エビデンスにして進めるほかありません。現在では、エビデンスとして国連からの勧告がありますが、それは次の見直しの検討の際の政策エビデンスであって今回の政策エビデンスではないです。すると、反対の立場を使って駆け引きをしたところで、病院団体の合意形成の段階ではじかれるので――これは国会をフィールドにしたとしても全く同じことです――大きな変革は期待できません。
よって、結論から言うと告示改正に対しては、もっともオーソドックスに、今より良くなるのか、悪くなるのかを軸にして賛否を判断するべきです。