京都ALS嘱託殺人事件・山本被告の判決に対する緊急声明

 私たち全国「精神病」者集団は、1974年5月に結成した精神障害者個人及び団体で構成される全国組織です。
 さて、2023年12月19日、京都ALS嘱託殺人事件の公判で、京都地方裁判所は山本被告に対して懲役2年6か月の判決を言い渡しました。山本被告が林優里さんの殺害に関与した事実が認められ、責任の重さから執行猶予なしの実刑判決が言い渡されたことはよかったです。一方で懲役2年6カ月の刑罰は、事件の悪質性に対して軽い印象があり、山本被告が犯行を否認したことで、殺害の動機などが最後まで明らかにならなかったことは残念に思います。
 さて、判決文には、①林優里さんがALSに罹患しており、日々自らの命を絶つことを望みながら病状上それをなし得ず、その手段として他者に殺害を依頼するほかなかったこと、②被害者が苦痛なく死亡したとうかがわれることなどから量刑を軽くするように酌んだと書かれています。これについては、ALSの人の生活を鑑みたものとは考えられず、誤った理解が流布していくこと及び、本事件に対する裁判所の態度という意味で大久保被告の裁判にも影響するのではないかと深刻に憂慮します。
 判決文では、「日々自らの命を絶つことを望みながら病状上それをなし得ず」や「被害者にとっては他に命を絶つ手段がなかったにせよ」など、あたかも林優里さんが恒常的に死を望んでいたかのような印象になっています。林優里さんは、ALSの治癒を心から望んでおり、支援者も熱心に取り組んでいました。被告人らの働きかけがなければ、いずれは前向きに生きる方向に思いを向けていただろうし、被告人らの働きかけがあった段階でさえ生きる希望をもっていたことへの理解が乏しいと言わざるを得ません。近年、ALSの人に限らず、苦しいときや辛いときの状況を「死にたい」と表現することが珍しくなくなってきています。被告人らの行為は、被害者の苦悩のつぶやきに乗じて本当に死にたい気持ちにさせるよう教唆し、その上で承諾を得て殺人をおこなったものと見たほうが適当ではないかと考えます。また、林優里さんが少ない苦痛で死亡したのは、医療の知識を用いて殺害をした悪質性の結果なのであって、それを踏まえると苦痛の程度だけを取り出すかたちで量刑に酌むことも適切ではないと考えます。
 このような量刑の酌み方は、つまるところ“障害があったから量刑を軽くした”ということに収斂していくわけであり、障害者の人の命が軽んじられるようで看過できません。ついては、来年1月から始まる大久保被告の公判及び大阪高等裁判所における二審では、上記を踏まえて適切な量刑が判断されることを望みます。

【別紙】論点整理

◆判決の量刑の部分(箇条書き)
1 事実
・有印公文書偽装の事実
・嘱託殺人の事実
2(1)犯行様態
・計画性がある。
・悪質性がある。(医療の知識の悪用)
2(2)酌むべき事情
・真摯な嘱託に基づく犯行である。
・他の嘱託殺人とは同列に扱えない。(ALSに罹患し自殺するにも他者の手が必要なものを対象としている)
・苦痛なく死亡した。
3(1)責任と非難
・生命を守る立場の医師が殺人をおかしたこと。
・金銭目的で犯行に及んだこと。
・医師の立場を利用したこと。
・ろくな診察を経ず、主治医や親族に秘密にして殺害に及んだこと。
3(2)被告人個別の事情
・大久保と共謀した事実がある。
4 結論
・被告人の責任は重い。
・執行猶予なしの実刑が相当。
・殺人懲役13年を踏まえると2年6カ月が相当。

◆量刑の論点

〇自然死を装い、犯行の発覚を疑われることなく犯行を完遂するため、事前に用意した薬品を慰労に注入して被害者を殺害しているところ、その計画性は高いうえ、医師としての知識を悪用している点で悪質な犯行態様といえる。

→悪質性の根拠は、計画性と医師としての知識の悪用の2点である。

〇被害者は、ALSに罹患しており、日々自らの命を絶つことを望みながら病状上それをなし得ず、その手段として他社に自らの殺害を依頼するほかなかったことがうかがわれるのであって、このような被害者の真摯な嘱託に基づいた犯行は、自殺幇助に近い側面もあり、そのような状況にない者を被害者とする他の嘱託殺人の事案と同列に扱うことは相当でない。

→林優里さんが「自らの命を絶つことを望みながら病状上それをなし得なかった」というのは事実に反する。林優里さんは、ALSの治癒を心から望んでいたし、支援者は熱心に取り組んでいた。被告人らの働きかけがなければ、いずれは前向きに生きる方向に思いを向けていただろうし、被告人らの働きかけがあった段階でさえ生きる希望をもっていたと考えられるべきである。近年、ALSの人に限らず、苦しいときや辛いときの状況を「死にたい」と表現することが珍しくなくなってきている。被告の行為は、本当に死にたいわけでもない被害者のつぶやきを本当に死にたい気持ちにさせた上で、承諾を得て殺人をおこなったと解したほうがALSの実情を鑑みると適当ではないかと考える。その意味では、自殺ほう助に近い嘱託殺人などではなく、自殺教唆からの承諾殺人という側面をもった事件であると見なければならない。

〇また、被害者が苦痛なく死亡したとうかがわれることも、量刑上相応に酌むべき事情というべきである。

→一般論として殺害の手段と被害者に与えた苦痛の程度は量刑の判断基準となり得る。しかし、本件において林優里さんが少ない苦痛で死亡したのは、医療の知識を用いて殺害をした悪質性の結果であることを踏まえると量刑に酌むべき理由にしてはならないと考える。なぜなら、被告人の犯行は、医療の知識を用いた殺害であって、悪質性が判決の中で認められている以上、その結果として少ない苦痛で死亡したのであれば、その部分を取り出して量刑に酌むべきではないことが明らかであるからである。

〇嘱託殺人については、被害者にとっては他に命を絶つ手段がなかったにせよ、被告人らは、医師という立場にありながら、その日会ったにすぎない被害者を、わずか15分程度の間に、ろくに診察することもなく、主治医や親族等にも秘密裏に殺害に及んでいる。

→診療行為の手続きを経ていないことに係る非難は不要かつ不適切である。判決では、被害者と被告人との間に診療関係があった場合を仮定し、通常の診療手続きを経ていない点を非難する書きぶりとなっている。これでは、あたかも被害者と被告人との間に診療関係があったかのような誤解を与えかねない。本件は、診療行為の延長線上の殺害とは異なり、見ず知らずの人間が医師の立場を利用して殺害したものに過ぎない。よって医療行為の文脈に位置付けられ得るような見解を入れ込むことは適当ではない。(医療問題から切り離して理解するべき。)

〇「被害者は、ALSに罹患しており、日々自らの命を絶つことを望みながら病状上それをなし得ず、その手段として他者に自らの殺害を依頼するほかなかった」「被害者にとっては他に命を絶つ手段がなかったにせよ」

→刑事法制上は、自殺自体の違法性がないと考えられているものの、自殺とは判断能力の低下に伴う精神及び行動の障害と位置付けられており、医療によって避けられるべき事象とみなされている。自殺しようとする者を見つけた場合には、誰でも通報できることになっており、通報後に2名の精神保健指定医が自傷及び他害の恐れがあると判断した場合には都道府県知事の処分によって入院措置を講じることとなっている。このことを踏まえると「自殺をしたくてもできない」といったかたちで自殺ができることが通常の人間であるかのような書きぶりは違法・違憲を疑わざるを得ない。

◆刑法の同意殺人について
・刑法の同意殺人には、同意様態に応じて自殺教唆、自殺幇助、承諾殺人、嘱託殺人の4類型が存在する。自殺教唆は、自殺したくなるようにマインドコントロールして自殺させること、②自殺幇助は自殺志願者が自殺するための手伝いをして自殺させること、③承諾殺人は加害者が殺人をしたいと被害者に持ち掛けて承諾を得て殺すこと、④嘱託殺人は、被害者から殺してほしいと加害者に持ち掛けて加害者が応じて殺すこと、となっている。本来は、自殺教唆による承諾殺人と見たほうが実態にあっている。この点については、嘱託殺人事件として公訴するとしても、「真摯な嘱託」の判断にかかわるため見逃せない。