協議の場と当事者参画の方針(第2版)

協議の場と当事者参画の方針(第2版)

1. 協議の場の位置づけ
我々は、協議の場をどう位置づけるのかを明確にしておく必要がある。我々は、そもそも精神保健福祉体制自体を歓迎していない。よって、精神保健福祉体制のテーブルの上に一員として参加するわけではなく、あくまでカウンターとして参画することになる。いわば、参画するリスクと参画しないリスクを比較して、よりリスクの少ない方を選ぶというだけの消極的な位置づけにとどまるものである。

2. 参画するリスク/参画しないリスク
参画することに伴うリスクは、当事者の声というお墨付きを与えた上で運用が進んでしまうこと自体がそうである。このことは当事者参画を進める上でもっとも注意しなければならない点である。そのため、全体的な当事者の力量などを踏まえた上で総合的に判断される必要がある。
逆に参画しないことに伴うリスクは、我々とは異なるタイプのカッコ付き当事者が参画して上述のリスクを加速させてしまうことと、カウンターとなる勢力がないまま措置入院の運用に歯止めがかからなくなることなどである。
この場合、参画することに伴うリスクは、参画しないことだけでは回避できないため、あくまでカウンターとして参画した方がよいと考えるに至った。

3. 参画に伴うリスクの最小化に向けて
グレーゾーンの協議にあたっては、当事者の役割がなんであるのか不明な点が多い。単にグレーゾーンとされる事例に対して措置相当だ、措置相当ではないだとする医療者の論議に同じレベルで加わってもなんの意味もない。
あくまで当事者として参画する意義を全体化しておかなければならない。そのための当事者の力量を均質化するためのフォロー体制が不可欠である。例えば、当事者参画の思わぬ副作用への理解を養うとともに、協議の場における当事者の役割を明確化・可視化し全うできるようにすることなどがそうである。

4. 協議の場の評価をめぐるポイント
この間にグレーゾーンとよばれてきた問題の核心は、医療で対応すべきか司法で対応すべきかがわからない人の問題ではなく、医療側が医療で対応すべきではないと判断しているのに司法側が医療に押し付けようとしている問題であると位置付けが変わってきた。この問題の核心は、警察が精神科病院を刑務所の代わりに使おうとしていることにある。つまり、警察の誤りを指摘するために協議の場が使われようとしているのである。
他方で我々は、これまで協議の場への警察参加に反対してきた。理由は、社会保障ではなく治安を担う警察との目的共有は不可能であり、警察組織の慣例上、医療福祉関係者が説得することはきわめて難しいこと、協議の場における当事者を捜査対象とみなされる不安があることなどがあげられた。もちろん、法案段階の代表者会議と現在のガイドラインに基づく協議の場は異なるものであるため、一概に同じ立場を貫き続けるわけではない。だが、仮に警察参加阻止の立場を貫くのだとしたら、警察参加を前提とした協議の場への参加は矛盾することになるだろうし、警察が精神科病院を刑務所の代わりに使おうとしている問題のカウンターとして協議の場に応じることはできないということにもなるだろう。
しかし、その場合は、当事者参画を辞退するのではなく、あくまで警察参加の阻止を実現し、警察が精神科病院を刑務所の代わりに使おうとしている問題についても措置入院それ自体に反対するという態度を取ることで問題解決への姿勢を示し続けることができるのである。
また、措置入院の運用のバラツキ問題は、警察だけではなく精神保健指定医の問題も大きい。措置入院の運用のバラツキは、人身の自由を剥奪する行政処分でありながら精神保健福指定医ごとに異なる判断をすることを許容してきた帰結である。そうした精神保健指定医ごとの判断の違いが許容されてきた理由は、医療イコール全て利益処分であるという誤った前提に立って政策が進んできたからである。仮に警察が精神科病院を刑務所の代わりに使う問題が解決したとしても、精神保健指定医による恣意的判断、恣意的拘禁を批判する場として協議の場には一定の役目が残されている。

5. 当事者の役割
①措置入院に反対
そもそも措置入院自体が当事者にとっては、強制的な人身の自由の剥奪であり、最悪なトラウマ経験である。当然ながら医療不信にもなる。このことを宣言し伝えるのが当事者の役割である。
②警察参加の阻止
すでにガイドラインでは、生活安全課長の参加が前提とされているが、我々は警察参加自体を認めない方針である。よって第一義的な役割は、警察参加の阻止である。
③刑務所の代わりにさせない
警察は、捜査対象となった精神障害者に対して微罪処分、不起訴、拘留取り消し、拘留執行停止などですぐに自由の身になることを不満に感じており、通報して措置入院になることで初めて刑罰としてのバランスがとれると考えているフシがある。しかし、厳密には措置入院は刑罰ではないため、刑務所の代わりにするべきではない。刑務所の代わりに措置入院することへの拒絶を宣言するのが当事者の役割である。
④措置入院は不利益
当事者によって措置入院それ自体は、人身の自由剥奪という不利益を伴う処分である。よって精神保健指定医が初見で措置不要と判断していても警察側からの圧力で結果的に措置相当と判断するようないい加減な運用は、全くもって許されないはずである。このことを宣言するのが当事者の役割である。
⑤別に司法でよい
精神障害者の仲間で刑務所と精神病院の両方に入った経験をもつ人は、刑務所の方がマシだったと口を揃えていう。刑期が決まっていることが理由としてあげられてきた。仮に医療者等が、措置入院が必要であるとする意見を出したときに入院のカウンターとなる意見を出すことが当事者の役割である。
こうした役割を果たすことで措置入院の運用に歯止めをかけていく必要がある。
⑥精神保健指定医の判断のバラツキを問題にすること
本来、人身の自由の剥奪を伴う行政処分は、厳格な根拠が求められるべきであり、処分の理由も反証的、再現的でなければならないと考える。同じ精神障害者に対して、ある精神保健指定医が措置入院相当と判断して措置入院になり、ある精神保健指定医は措置入院不要と判断して措置入院にならないなどということはあってはならないはずである。しかし、精神保健福祉法の立て付け上は、入院は利益行為なので精神保健指定医が間違って入院させても問題なしとされる。こんなことが許されないように本人の立場から反証的、再現的ではなく措置入院の診察を批判する意見を出すことが当事者の役割である。