「優生保護法に私たちはどう向き合うのか?―謝罪・補償・調査検証を!」の開催にあたって全国「精神病」者集団から連帯のアピールをさせていただきます。
旧優生保護法下の強制不妊手術は、「不良な子孫の発生防止=障害者は生まれない方がよい」という差別的な考え方に基づき障害者から生殖機能を奪い去る忌まわしいものでした。
この制度に基づき多くの障害者が不妊手術を施され、犠牲になっていきました。その中には、当然ながら私たち精神障害者が含まれています。
さて、強制不妊手術を規定した旧優生保護法の 所轄庁は、公衆衛生局精神衛生課でした。精神衛生課は、私たち精神障害者の強制入院を規定した精神衛生法(現在の精神保健福祉法)の所轄庁でもあります。1930年代、旧内務省は富国強兵策を背後としつつ民族優生の目的を達するためには、精神病者や精神薄弱者等を対象とした(1)隔離(精神病院等の拡充)、(2)結婚制限、(3)人工妊娠中 絶、(4)断種 (不妊手術)の4つの社会政策が必要であるとしていました。このうち、断種を合法化するための法案は、1930年代に計5回にわたって上程されましたが、いずれも成立しませんでした。
他方で、この時期は精神科医師の間で断種をめぐって議論が交わされ、議会にも波及していきました。内務省は、日本精神病院協会(現在の精神衛生会)に対して「断種法制定の可否」に係る意見を求め、同協会は、1939年に断種に対して慎重な姿勢をとりつつも基本的に賛成の立場をとる「断種法制定に関する決議」を提出しました。こうした経過をたどり、1940年に国民優生法が成立しました。
そして戦後、日本社会党の代議士らが中心となって超党派の議員立法で大幅な改正作業がおこなわれ、1948年には、今日、裁判で問題 になっている旧優生保護法が成立しました。1953年には、精神衛生会と日本精神病院協会(現在の日本精神科病院協会)が「精神障害者の遺伝防止のため」として不妊手術促進の費用に財政措置を求める陳情書を提出しました。それくらいの時期から財政的な裏付けを得たためか、次第に強制不妊手術の件数が増えていきました。このように精神保健には、優生保護法を下支えしてきた歴史的な事実があります。
さて、1990年代になってからは、青森県や秋田県など強制不妊は限られた自治体でしかおこなわれなくなりました。そのため、青森県、秋田県などには、被害者でご存命の方がいると思います。もしかしたら、今もなお青森県や秋田県の精神科病院には、強制不妊手術の被害者が長期入院を強いられている かもしれません。ところで、被害者が長期入院している場合には、当時のカルテが残っているかもしれません。こうした記録は賠償の根拠にもなるので保全が不可欠です。
皆さん! 忌まわしい優生保護法の歴史に対して、謝罪と賠償を勝ち取るため共に闘いましょう!