原本確認調査に対する意見

高齢者・障害者等の意思決定支援の実現を目指す司法書士の会 御中
2015年12月15日

問1 上記のような原本確認調査は、障害者権利条約の趣旨に反するとお考えになられますか?反しないとお考えになられますか?

原本確認調査は、障害者権利条約第12条第3項の趣旨に違反すると考える。また、成年後見制度は、障害者権利条約第12条第1項及び同条第2項に違反する。
当会としては法的能力の範囲には行為能力が含まれると考えている。これは障害者権利委員会・国際障害同盟と同意見であり、法学上の通説である。そのため、成年後見制度は行為能力を制限する点で障害者権利条約第12条第2項に違反するものと考えている。(一部には代理決定パラダイムを誤って認識した上で障害を理由とした制限行為能力の存置を主張する立論も存在するようだが、学問は複数の立場があってよいというだけに過ぎず、少数派の学説を政策においてデフォルトと見なすべきでないのは当然である。)
その上で原本確認調査は、法律の上で行為能力を制限するものではないため12条2項の趣旨に違反しないが、法律上の権利の行使(例えば個人情報の保護に関する法律における個人情報の取得における本人の同意・個人情報のコントロール権)の機会にアクセスさせず妨げるものであるため、12条3項の趣旨に違反する。
原本確認調査は、被後見人等に個人情報の取得や使用に関してなんら同意を得ておらず、個人情報取得の同意を得るための努力を怠慢しようとするものに過ぎない。

問2 上記のような原本確認調査は、なんらかの法令・条例に反するとお考えになられますか。反しないとお考えになられますか?

 原本確認調査は、個人情報の保護に関する法律(個人情報保護法)及び障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)に反すると考える。
個人情報保護法では、個人情報取扱業者が個人情報の取得に際して当該個人情報の本人から同意を得る必要があるとされている。当該個人情報の本人である成年被後見人等から同意を得ないで個人情報を取得することは、たとえ財産保護が利益行為であることを口実にしようとも、法令に違反する事実に変わりはない。
また、個人情報保護法における本人の同意は、必ずしも法律行為であるとは考えないため、安易に成年後見人等による代理権によるべきではなく、成年被後見人等による同意を前提とすべきである。同意の取得が事実上困難と思われる場合であっても、個別具体的な判断能力に応じた同意の可能性を模索し、開くべきと考える。
個人情報保護法は、全ての国民を対象とする法規であるため成年後見制度の利用者を想定していないなどということにはなり得ない。また、すべての国民を対象とする法規において「精神上の障害」を理由に法律上の「本人の同意」を排斥し、個人情報のコントロール権を侵害するものであるから、障害者差別解消法に基づく「障害に基づく不当な差別的取扱い」に該当するものと考える。

問3 その他、原本確認調査について、ご自由にご意見をお述べください。

原本確認調査をめぐって司法書士の職業倫理と障害者権利条約の理解について違和感を禁じえなかったため、二点について意見を述べることとする。

①司法書士の職業倫理に対する問い
 司法書士法には、秘密保持義務の規定がある。当会は、原本確認調査が直ちに当該規定に違反するかどうかは関知しないが、少なくとも司法書士は職業倫理の観点からも慎重であるべきと考える。このたびの原本確認調査からは、職業倫理の観点から社会的信用を失墜させるほどの問題であると考えている。
確かに成年被後見人の財産を安全に管理することは不可欠である。が、それを理由に個人情報のコントロール権を侵害していいことにはならないだろう。原本確認調査は、被後見人等に個人情報の取得や使用に関してなんら同意を得ないだけではなく、個人情報取得の同意を得るための努力を怠慢したものである。真に成年被後見人等の財産を安全に管理したいと思うのならば、一人一人の成年被後見人等に対して個人情報取得の同意を得られるよう説明に出向くべきである。こうした手間を惜しみ安易に本人の同意をとらずして個人情報を取得しようとすることは、「司法書士は成年被後見人等なんかに時間をかけていられないのだ」と見下しきった無礼な態度のあらわれである。まるで司法書士の身の保身以外に関心がないと言わんばかりである。
一体全体、「安全に管理されるのが当然の前提である」ことが、なぜ原本確認調査を許容することになり、それが推定的承諾を見なし得るのか、全くもって理解できない。

②障害者権利条約の解釈をめぐる問題
 障害者権利条約の解釈は、原本確認調査に賛成する立場、反対する立場ともに誤っていると言わざるを得ない。
 障害者権利委員会が一般的意見で「これまで委員会が審査してきた締約国の報告の大半において、意思決定能力と法的能力の概念は同一視され、多くの場合、認知障害又は心理社会的障害により意思決定スキルが低下していると見なされた者は、結果的に、特定の決定を下す法的能力を排除されている」と述べているように、意思決定能力(Mental capacity)と法的能力(legal capacity)は別の概念である。ここでいう法的能力とは、「権利と義務を所有し(法的地位)、これらの権利と義務を行使する(法的主体性)能力」のことである。
 意思決定能力には個人差があり、個人差の原因は個人の状態のみに帰属できるものではなく、社会に原因帰属されるべき事柄を多分に含んでいる。
 そもそも代理決定には、委任、第三者のための契約などが含まれない点を留意されたい。これらは、むしろ法的能力行使に当たって必要な支援と理解されるべきである。代理決定パラダイムとは、意思決定能力(Mental capacity)が低下・発揮できない人に対して、その人の決定を代わりする人間とはだれが相応しいのかといった、代理決定者適格性の議論枠組みのことを指しているのである。これに対してguardianなどの適格性を有した代理決定者が代わりに決定するという枠組みではなく、応援されながら意思決定をしていくパラダイムへとシフトすべきだとするのが支援された意思決定のパラダイムである。この応援の形体は、きわめて多様であり、先に述べた委任なども当然含まれる。他方、これらの支援は、障害者の法的能力の行使を妨げるものであってはならない。とりわけ、ソーシャルワーカーによる不利益にならないための法律行為の誘導は、(a)決定できる法律行為の範囲を予め“合理的な範囲”などとして狭く限定すること、(b)ソーシャルワーカーがコーディネーターとしての代表権を有し適格性の枠組みをでないこと、から多くの場合は法的能力の行使を妨げる帰結となるだろう。このような観点に立つと法的能力を制限しない障害者総合支援法の意思決定支援制度であっても、法的能力の行使を事実上妨げることがあるのならば障害者権利条約12条3項に違反し得るのである。
 また、障害者権利委員会は、最終手段(last resort)であれ法的能力の制限を認めていない。障害者権利委員会の一般的意見では、「障害のある者としての地位や、(身体機能障害又は感覚機能障害を含む)機能障害の存在が、決して、第12条に規定されている法的能力や権利を否定する理由となってはならないことを再確認する」とされており、例外を認めていない。確かに自己決定には限界がある。しかし、自己決定に限界があることは、法的能力の制限を許容することを意味しない。自己決定の限界を代理決定で補完しようとすることと、法的能力の制限への抵抗として自己決定を対置させることは、ともに間違った考え方である。例えば、集合的選択を推定同意と見なす方途など代わりの方策はいくらでも考えられる。にもかかわらず、なんら替わりの方策を検討しないまま、自己決定に限界があることを理由に代理決定しか方策がないが如くの立論によるのは、無知を露呈しているわけであり恥ずべき行為である。国家試験に合格し司法書士を名乗って業務を行っているにも関わらず、こうした状況では本当に私たちの日常生活を支えられるのかについて不安を禁じえない。障害者団体の主張に耳を傾け、学習し研鑽されることをつよく望むため、法的能力と意思決定支援に係る全国「精神病」者集団との意見交換の機会を検討していただきたいと思う。