意思無能力法理明文化反対の覚書(第一版)

意思無能力法理明文化反対の覚書(第一版)

 意思無能力法理明文化反対論者の一部には、意思を前提に構成される民法の在り様を批判せずに意思無能力法理だけを取り出して批判し、もって障害者権利条約第12条第2項の履行に不可欠とする立場も存在するようだが、全国「精神病」者集団は、こうした立場をとらない。第一に全国「精神病」者集団は、意思を前提に構成される民法それ自体が障害者権利条約第12条第1項に違反するという立場をとる。同条約第12条第2項は、障害を理由とした法的能力の不平等の禁止を求めているが、意思能力はすなわち法的能力であるといい難い部分がある。このことは、障害者権利委員会がMental capacityとlegal capacityを概念上区別していることからも自明である。だが、意思無能力は、障害者が他の者と平等に法的能力を行使するための前提条件に係る問題ではあり、法的能力行使の観点からも看過できない問題といえる。そのため、全国「精神病」者集団は、民法に意思無能力法理が採用された背景には民法が前提とする人間像に障害者が含みこまれていないために引き起こされる問題への帳尻合わせがあることを認め、このことを「障害者が全ての場所において法の前で人として認められる権利」の侵害であると捉えて批判したい。
 全国「精神病」者集団の主張は、民法から意思無能力法理だけを取り除けばいいとする考え方とは一線を画するものであり、こうした考え方に対しては、単に表示主義を帰結するものとして批判する立場をとる。また、法律上に意思無能力者という位置を設けることに反対とする立場も存在するが、意思を前提に構成される民法の前では、結局のところ表示主義か意思主義の二者択一を迫られることになり、意思主義の立場をとるならば仮に意思無能力者という名称を使わないとしても、別の名称によって契約の有効性を判断せざるを得なくなる。現行民法では意思以外で有効性を判断するとなると動機や表示行為以外にないため、詰まる所、なんど呼称を言い換えたところで現行民法のドグマに収斂していくことになるのである。その意味で、意思無能力者の存在を問題とする主張は表面的であり、意思無能力者あるいはそれに代わる同じものを生じさせるおおもとの民法のあり方にこそ批判を向けなければならないだろう。
   2016年5月10日